読みたい小説が家に5、6冊積読している状態ではあるが、だんだんと小説を読む手がおもくなってきた。作品のせいなのか、それとも好奇心のせいなのか。とりあえず原因は後者だと決めつけて、昨日気晴らしに違うジャンルの本を買った。『村に火をつけ、白痴になれ』と『一汁一菜でよいという提案』の2冊である。
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『村に火をつけ、白痴になれ』は、明治中期に生まれ、大正12年(1923年)に28歳という若さで亡くなった伊藤野枝(いとう のえ)というアナーキストの評伝である。評伝というのは「評論も交えた伝記」ということを初めて知ったのだが、実際、著者の心情も文章に混じっており「マジ」という単語もでてきたりしてよい意味で文章がかるい。すいすいと読めてしまう文体である。
この本のことは、オードリーの若林が小説家をゲストに迎えて放送された人気番組の書籍化である『ご本、出しときますね?』にて知った。人の言動を素直に受け取らず疑ってしまう、そんな猜疑心(さいぎしん)を持った人におすすめ!ということで紹介されていた。
とくに「猜疑心があって悩んでまして」ということではなかったのだけど、人の目を気にせずやりたいことをやって生き抜いた人物、そしてあまりにも若く亡くなってしまい、しかもそれが殺害であったということで余計に気になり、Amazonのリストに追加していた。昨日、書店にて岩波現代文庫コーナーを目線で追っていたらあった。買ってさっそく帰りの電車で読みはじめた。
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もう一冊の『一汁一菜でよいという提案』は、ネットで「エッセイ おすすめ」と検索したときによく出てきていた本だった。Amazonリストには入れていなかった。「食に関する本か」ということでそこまで興味がなかった。
ただ、昨日書店でこの本を見かけて「どれどれ」と品定めするように立ち読みしていたら、「食事はご飯と味噌汁だけでよい。これだったら飽きない」ということが書いてあって、心の中で大賛成して、本を閉じ、そのままレジに向かった。まだ読んでいないというのに、帰りのスーパーで味噌を買った。
1日1食の生活をかれこれ3年ほどしていて、だいたい夕食ががっつりになる。カレーかパスタが最近は多い。お昼にバイキングとかでたくさん食べた場合は、夜は食べないことが多い。お腹いっぱい食べるとなにもしたくなるので、「今日はおわり〜!」という気分になる夜にがっつり食べる。会社員時代もお昼はおにぎり1、2個くらいのものだった。「夜にがっつり」がぼくの食生活である。
朝は、即席の味噌汁に豆腐、わかめ、しじみ汁、納豆を入れたものを食べることがある。面倒なときは食べない。でもそうすると、お昼に向けてお腹がグーグーやかましくなるので、コンビニでちょっと買ったり、カフェで軽く食べたりする。脳みそが疲れたと感じたら、ラムネを食べる。がっつりは食べない。食べるとその日の残りは消化活動に費やすことになってしまう。
ちなみに、肉はスーパーではあまり買わず、外食のときに食べることが多い。こだわりのように見えるかもしれないが、そこまで強いものでもない。なんとなく、である。肉を買うんだったらちょっといい野菜を買いたくなる、そんな感じである。たまにコンビニで肉をつまむこともある。セブンの揚げ鶏はうまい。
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そんな食生活をしているぼくからしたら、「ご飯と味噌汁でOK」というのはすばらしい。だいたいの場合、食べたい野菜を買ってそれを鍋に放り込むという自炊なのであるが、パスタだったらパスタソースを選ぶのが面倒である。カレーだってずっと食べているとさすがに飽きる。味噌汁だったら発酵食品だし日本人っぽいしおれは日本人だし、野菜を切って鍋にぶっこんで味噌を溶かせばいい。楽そうで身体にも良さそうである。パスタは好きだけど、たまにでいい気がしてきた。
「ご飯と味噌汁」な夕食はまだやっていないのであるが、読む前にこれだけの興奮があった。昨夜ちょいと読んでみたが、読み終わっても同じことを言ってそうな気がする。立ち読みしたときにすべてを感じとってしまったのかもしれない。ただ、具体的な料理のコツみたいなことも書いてあったから、読み終わってもずっと本棚に入れておきたいような雰囲気はでてきている。
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冒頭の話に戻るのだけど、いまなんとか好奇心を手なづけている最中である。小説を5、6冊読んで、楽しんだ。まだまだ読みたい小説はあるが、小説筋肉がそこまでないのか、ちょっとキャパに近づいている気がしてきた。このまま”がんばって”読んでしまうと、小説欲がしぼんでしまう気がする。ここでまたジャンルを変えてみる。はて、どうなるか。好奇心のコーキくんはあっちこっちに行きたがっている。それを抑制したくはない。
現在10時10分、書きながら、グーグーとお腹が鳴っている。
※サムネはUnsplashより
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