ブログと思考の衣替え

ブログを書くなら「する前」がオススメかぁ、なるほど。いまこうして書いている文章も、毎日のYoutube作業を”する前”に書いている。

Re: 「前」か「後」か、どっちに書くか

昨日友達と会ったときに「最近またブログ書いててさ」という話をした。そのとき「まぁ、解毒剤みたいなもんかな」と自分が説明していて、”昨日の自分”が放ったその言葉に対して、なんか考えたりしている。

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ここでいう”毒”というのは、おれの中ではTikTokが近いのかもしれない。まぁ、ちと”毒”という表現は言い過ぎな気がするが。要は、細切れになった集中力を取り戻すための作業としてのブログである。

それで、「ちょっと読んでみたいなぁ」と友達が言うものだからリンクを渡したりはしたのだけど、内心「読むようなもんじゃないんだけどなぁ」というのと「読んでくれるのか?うれしいなぁ」という両方の気持ちがあった。

前者はある種の謙虚心のようなものとしても捉えられるかもしれない。「いやいや、恐縮です」みたいな。ただおれの場合は、「人に読ますために書いてないんだよなぁ。自分のためだから」という感じに近い。

じゃあなんでこうして一般公開しているかというと、「誰かが読むかもしれない」ということで緊張感が生まれるから。そうすることでちょっと言葉を整えてみたりする。その先に、発見がありそうな気もしている。

この緊張感の度合いというのが大事で、あくまで目的は「自分のためのブログ」、じゃみーの言葉を借りると「ヘルスケアとしてのライティング」でありつつ、そこにちょうどよい緊張感が乗っかる感じだ。

自分しか読まない(読めない)状況だと「吐き出す」ことで終わってしまうことが多くなる気がする。そこにはまた別の効用があるのだけど、今回はそこではないという感覚があって。

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だからこの交換日記も「読んでもらいやすいか」という目線で見てみると、そんなことはない。それぞれのブログがお互いのサイトに分離していてちゃんと読むのには手間がかかるし、”日記”とは言っているものの、そこに決められたルールはない。

この状況を「適当」というのか「なんとなく」というのかわからないが、この感じも心地よい。

おそらく、「どうしたらたくさんの人に読んでもらえますかね?」という視点でお互い色々とアイデアは出せそうな気がする。でもそれをすると、ブログを「した後」に書くみたいな「ハフトゥ(やらなきゃ)」性が強くなり、続かないんだろうなぁと。

現状、週に何回も往復で書いているが、これが月に1回、半年に1回、年に1回になったって、それは「続いている」ということであるだろうし、ここについてもあまり考えていない。流れるままに、日々手を動かしている。

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そんな感じで「この交換日記、とても読みづらいんです。読んでもらわなくたって大丈夫です。でも、もし読んでいただけるのならとても嬉しい。ありがとうございます。ぜひ読んでください。」というなんとも矛盾した状況でやっている。

あくまで目的は「思考のスロー化」であり、「ヒット記事を書く」ことではない。映画館に行って2時間情報の波から脱出するように、ブログを書くことで自分の脳内にできあがったインスタント思考の立場を少しやわらげ、思考の衣替えをしたいところである。

※サムネは以前のフォトウォークで撮影したもの。

yoshikazu eri

当サイトの運営人。大阪生まれ千葉育ちの87年生まれ。好奇心旺盛の飽き性。昔は国語が苦手だったが『海辺のカフカ』を2日間で読破した日から読書好きに。気づいたら2時間散歩している。

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