今朝は10時過ぎに起きた。7時から8時にアラームは鳴ったのであるが、どうも起きれない。スマホを触りながら、気づいたら二度寝していた。
Re: 時間が「とける」、のネガポジ判定
英単語で単語の意味を記憶するのと、実際の会話で使うのとでは、習得という意味ではぜんぜん違うと思うのだけど、言葉ってわかっているようで、そこに身体性がともなっていないと「あなたよく見かけるけど、何者?」という感じになることがある。
おれにとってはそれが「尊敬」であったし、「はったり」であったりした。知っているけどわからない、だから自分で使うことができない。そもそも使う必要あるのか?という議論はおいておいて。
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あぁ、おれは今日8時くらいに起きたかったんだよ。最近はだいぶ気温もあがってきて、あんまり起きるのが遅いと朝の公園が暑いのだ。1時間もいられない。今日はベランダで過ごした。
あぁ、早起きがしたい。気持ちよく公園で朝を迎えたい。10時に起きたら、それはもう朝が過ぎちゃってるじゃないか。朝の時間はすでに過ぎ、もう昼の顔がのぞいている。
でもよくよく考えると、昨日は寝たのが12時くらいだから10時に起きたってことは「十分に寝た」くらいの時間的感覚である。「早起きしたい」というおれの理性が身体の欲求を凌駕しているのかもしれない。
凌駕、りょうが、リョーガ、なかなか強そうな響きじゃあないか。
どうもおれは理性が強く働いてしまうのか、ときどき身体の信号を無視してしまうことがある。ワクチンの副作用はほとんどでなかったし、風邪で寝込んだのは中学生か?高校生だったか?という変に体が丈夫というのもあるもかもしれない。
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体は丈夫だが、”身体”となるとそうはいかない。”身体”という言葉には心も含まれるイメージがある。体が丈夫な分、心はそこまで強くない。毎日の心の朝シャン的なものが朝の公園だとするのであれば、おれにとって大事な習慣である。
一方で、寝不足もよくない。おそらく、今まで「なんかモヤモヤするなぁ」とかって心が弱っているように感じていたときは、実は単に寝不足だったのではないか、ということが何度もあったはずである。
心身ともに健康、なんて言ったりするけど、おれの場合は”心”の健康を優先したりするようである。睡眠時間を削ってでも早起きしたい。そんなふうにやっていくと寝不足になり、心にも影響してくるはずなのだけど、わりとおれはそれに無自覚だったりする。
でも最近は、今朝の二度寝みたいに「あぁ、体がもっと寝たかったんですね。じゃあ、ちゃんと早寝するね」という感じに解釈できるようになってきたから、成長であると言える。
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しかし、蒸し暑い。いま窓を開けてこうして書いているが、汗がじわじわと染み出ている。
体と心はセットである。そんな当たり前のことを考えながら、「その〈当たり前〉の理解度にもグラデーションがあって、それも体と心のセットなんだよね」という堂々巡りが生まれそうなところで、このブログを終えようと思う。
まとまらないことは、ありふれている。と最後に吐き出しておく。
※サムネはUnsplashより
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