にじみ出し、解け出し、境界線がぼやける

終末感、なかなかのパワーワードだ。今日観にいく『世界の終わりから』という映画にも通じそうだ。

Re: 精神的に、人間でいたい

産業革命あたりで「消費者」という存在が誕生した、なんて言われていたりしたような気がするけど、それは「費やして消える」行為が増えたってことなんだろうか。

生きるために必要な「寝る」「食事する」「排出する」という行為は、もうとうに保証されている世界なのに、人間(自分)は満足せず「もっともっと」と望んでいく。マズローの欲求五段階説の一番上にある自己実現欲求を求めている状態だなんて思うこともできるし、俺からすれば自己実現欲求はとても大切だから、そりゃまぁ望むよね、とも。

でも、その”自己実現”というのには”他者”が混じっていないだろうか。もちろん、他者とつながることは大切だし、社交的な日々を送ることが幸福にもつながるだろうと思う。

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「何かやろう」と思い立ったとき、まっさきに「どこで発信しようか」と思っちゃう自分がいたりする。どこかの会ったことのない”他者”に向けて”自分”を送ってみる。ここのバランスが難しくて、気づくと”他者”という存在が大きくなっていたりする。

それでもおれは何かしらの方法で”発信”しちゃうんだろうと思う。それが自分だし、インターネットの素晴らしさを信じてるし。ゆれる意味不明な自分。それでもいいんだ、と思うところから境界線の旅がはじまるんだろうか。

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おれはハッピーエンディングがあまり好きじゃない。そんなうまくいくもんか、と思ってしまう。フィクションという現実逃避を目的に映画を観にいくことが多いのに、そこには「現実ではそうはいかないぞ」という矛盾した欲求があったりする。

と言いながらも、自分の人生がハッピーエンディングであってほしい、なんてわがままなことを思っちゃう。ハッピーエンディングってなんだ?なにか特定の出来事が起これば「はい、ハッピーだね、よかったね」となるのか。そんなこともない気がする。

なにがハッピーで、なにがアンハッピーか、そんなものはそれぞれが空にカプセルのように浮かびながら、ときには重なり合って「アッピー」とかって文字を生んだりしているんだと思う。

よくわからないから、わかりやすいものを求める。でもその「よくわからないもの」のほうが世界には多いはずだし、それを解明するよりも「よくわからないものはよくわからないものである」という一種の新しいわかりやすさを包み込んでみてもいいのかもしれない。

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ここで文章を打ったり消したりを繰り返し、5分ほどが経過した。

なんとも中途半端な終わり方になりそうだが、最近なにを思うかって「書くことも、AIもどんと来い」という感じ。映画の世界が現実になっているとか色々言われていて、それはそれでエキサイティングなタイミングを生きてるなぁと思うんだけど、自分の砂場を保つために”書く”ことを続けたい。

「終わるんだったら終わればいい」と思いながらも「終わっちゃあ困る。おれはどうしたらいいんだ」という身勝手な思考もかかえて、そうだな、いま書きながら思ったけど、「発信する」んじゃなくて「にじみ出す」くらいがいいのかもしれない。

今までは「発信するぞ!」だったのが、自分のテリトリーである砂場を大切にしながら、自分が社会に「にじみ出る」ことで境界線がぼやけてきて、自分が解け出し、心地よい社会との接点が見つかるのかもしれない。

とんだ乱雑文章になっちまった。

※サムネはBlenderにて制作。タイトルは「突如ピカ」

yoshikazu eri

当サイトの運営人。大阪生まれ千葉育ちの87年生まれ。好奇心旺盛の飽き性。昔は国語が苦手だったが『海辺のカフカ』を2日間で読破した日から読書好きに。気づいたら2時間散歩している。

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