4時に起きてしまった。昨日寝たのは10時前くらいだったのだけど、たまにこういう早起きしちゃう。エアコンを5時間タイマーして、止まったところで暑くて起きるのだろうか。それとも体が十分な睡眠をとったと判断したのだろうか。いずれにしても、寝不足感はない。
たしかに「頭で書く」という状態だと、現状把握というか、あくまで確認くらいの感じになる印象がある。それがわるいとは思わないけど、「指で書く」という感覚に近いと、無意識が浮き上がるというか、新しい発見がありそうな気配がする。
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デザイナーの深澤直人さんのインタビュー記事を最近読んだ。
デザインとは会話の中でふと生まれる、気の利いた冗談みたいなもの。長い時間考え抜いて、答えを出すようなものではありません。デザインブリーフを与えられたらアウトプットのスイッチが入って、頭の中にあるものをパッと出しているだけです。
レファレンス:深澤直人が「つくる」理由。デザインと工芸、科学を行き来する「いいカタチ」の求道者
そんで、ここに関連しそうな言葉として、こんなものもあった。
どうやらひとは、壇上で二時間くらいの時間が経ち、あるていどの疲労が溜まり、それぞれが用意してきた発表の内容が尽きたところで、はじめて新しい発言をし、対話といえるものを始めるようなのです。
レファレンス:『哲学の誤配』東浩紀 63ページ
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こういった言葉をうけて、なんとなく「スイッチ」というものがあるのだな、という印象を受けた。頭を使ってだす「アウトプット」という言葉ではなくて、日々いろいろとインプットをしているなかで、その情報たちを”無意識に”まかせて放出するというか。
なんというか「よし、アウトプットするか」という自意識がまじったアウトプットは、既存の情報をただ差し出すようなかたちになりやすいのかもしれないし、じゃあいつアウトプットするのか?と思ったとき、そのスイッチが自分がコントロールできないものとして降りかかることで、今までとちょっと違う視点が無意識に飛び出すのかもしれない。自分でも驚いちゃった、みたいな。
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自分が自覚している以上に、実はそこには無意識のなにかがあって、それによって日々のメンタルとか体にも影響していて、行動にも影響しているのだろうと思う。理性をとっぱらって、流れに任せて、ある意味で無責任な放出から、そういう無意識は表にでてくるのかもしれない。
なんていうのだろうか、「いまの自分の宇宙」というのをよい感じに引き出すには外部が必要で、それは他者の言葉だったり、散歩中の景色だったり、知らない人のツイートだったり、騒音だったりするのかもしれない。予期せぬ現象で、自分の脳内ルーレットが回りはじめるんだきっと。
「インプットとアウトプットのバランスが大事」とは昔から感じているところではあるけど、このアウトプットというのは自分のタイミングでやるものもあるけど、外部にスイッチを押されちゃって出ちゃう系のアウトプットというのもあるよなぁと、ふかふかと考える早朝である。
※サムネはUnsplashより
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