先日、室内に置くための観葉植物を買った。直径27cmの9号鉢、なかなかの存在がでるサイズである。シェフレラ・アンガスティフォリアという植物である。ホームセンターで「これなんの植物だろう」と名前の札を見つけたときのカタカナの多さにおどろいた。シェフレなんだって?まあいい、この子を買う!と、とりあえず買った。
シェフリア、しぇふれあ、エクレア、アンガス、ふぉりあ、シェフレあ、シェフレ、ラ、ラ、ラ、アンガスティ、フォリア。まだまだ覚えられない。
植物には、頭文字をとって「シェフ」と名付けた。学名はSchefflera angustifoliaだから、綴りは「Chef」ではなく「Scheff」だが、頭の中ではカタカナの「シェフ」表示で名付けたつもりである。世界にたくさん存在するシェフレラ属のなかでも、細い葉を持つ種類とのこと。希少種らしい。まあ、ホームセンターに売ってるくらいだから「ちょっと珍しいやつ」くらいだろう。それでも、なんか”出会い”っぽくていい、うれしい。
数日前、ホームセンターで液体肥料、活力剤(植物にとってのおやつのようなもの)、ジョウロ、霧吹き(葉水と言われる日々のお手入れに使用)を調達して、毎日シェフを眺めている。
あ、水やりのタイミングを測るために、ネットで土壌水分計も買った。植物を枯らす原因として最も多いのが「水のやりすぎ」だそうで、ちゃんと土が完全に乾いてから水やりをすることが大事だそう。そのために、水分計を土に刺して、メーター表示で乾燥を確認してから水やりをするためである。ずっと土が湿っていると人間でいう常時風呂みたいな状態になってしまうが、乾いてから水やりをすることで根っこが与えられた水に向かって伸びる(成長する)のだそうだ。
シェフからは、各枝から8枚くらいの細い葉が円を形成するように伸びているのであるが、この前、何枚かを剪定した。そこの部分は、数日経つと枯れ、触るとポロっと落ちたのだった。なんて効率的な生き物なのだろう。刈られた必要のない部位を「いらねえ」と見捨てる潔さ。まるでもともと6枚だったかのように、剪定した2枚の葉の残骸部分が跡形もなくぽろっと落ちる。
室内育成だから、シェフ、うまく育つかしら。植物の話に900字も使ってしまった。
Re: 〆切寸前のパンプアップ
5月になった。37歳は目前だ。今日から3連休なのだが、GWの関係でここ1週間は残業が増えたりと、仕事の面ではちょっとがんばった感じであった。とはいいつつも、個人プロジェクトのほうは順調である。毎日30分くらいだろうか、淡々とゆるいペースでやっているから、よくもわるくも期待値が高くなく、ほんと淡々と、である。
いままで視聴者として受け取っていたものが、表現者としてボールを投げようとすると、まず思考回路のバグが一回やってきて、提出間近になると「え、これっておもしろいんだっけ?」と不安からのバグがもう一回やってきて、精神ぐちゃぐちゃになる。
これはほんとうにそうだろうなあと思う。おれもいま個人プロジェクトでデザイン的なことをやってみているのであるが、まあなんもデザインできん。できるといったらテキストのフォント、サイズ、配置くらいであろうか。ちょっとした図形でさえも、デザインできない。
いままでいろいろなデザイン、映画、本などを摂取してきたのもあってか、よくもわるくも自分の”目”が肥えている。デザインに関しても、「こういうのいいよね」「これはなんか違う」という自分なりのセンス(尺度)が形成されている。
とはいっても、じゃあ自分自身でデザインできるものを見つめてみたとき、それがあまりにも粗末なものだと思ってしまう。グラフィックデザインとか、そういうことはほぼしてこなかったわけで。近いもので、サムネ制作くらいだろう。
べつに図形を描くとか、グラデーションをつけるとか、その作業自体はできるのだ。でも、そうした技法を使用してなにか作ろうとしてみると、「いやこれないだろ」という声しかでてこない。結果、現状でやっているのは「テキスト」メインのデザインである。まあ、ちょっとずつスキルを上げていきたいのであるが、ちょっとがんばってデザインすると、自分の”目”が「なしなし」と応答して「納得いくものをだそうよ」と添える。頭でっかちとはこのことか、どうだろうか、わからない。
そういえば前回、短編を書いたときの話に〆切をどうのこうのとからめたのだけど、あのあと「もう1本書こう」と実はGoogleカレンダーにタスク設定していた。それらの3つのタスク(構想、執筆、公開)は、一切の手がつけられないまま1週間がすぎ、「保留中のタスク」に変貌し、ある日おれは、それら3つをそっと削除した。後悔はしていない。
p.s. 『ゴブリンスレイヤー』の映画とパート2をみ終えたおれは、久々に実写の『寄生獣』(ネトフリ)に手を出した。数日前に見終えたのだけど、なかなかよかった。登場人物の心情をどう見せるのか、どこで見せるのか、そうしたお手本を見せられたような気分であった。原作の漫画は読んでいないから、原作好きの人からすればいろいろと言いたいことはあるのかもしれないけど、『寄生獣』は実写映画しか見たことがないおれからすると、韓国パワーを存分に感じた素晴らしい作品だった。続編も待ち望む。
読書については、「本に関する本」を読みたい欲は一旦落ち着いた。それらを読んで思ったのは、「もうちょっと難しい本を読もう」であった。おそらく(というのもまだ決めかねていないのだけど)、今月は『悲しき熱帯』を買い、来月は『偶然性・アイロニー・連帯』と文庫版の『百年の孤独』を買うのだろうと妄想している。最近は小説をちょこちょこまた読みはじめていて、『砂の女』『地球星人』を読んだ。安部公房の本は、他にも読みたくなった。いまは『舟を編む』を読んでいる。
そういえば、おれも『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を買い、帰り道カフェに寄り、3時間ほどで一気読みしてしまった。参照されていた本がけっこう自宅にあり、自分がたどりたかった思考経路に多少なりとも重なっていたのもあったのかもしれない。小林賢太郎の新作本は、SNSでちらっと見かけていたなあ。『世界は経営でできている』を買おうか悩んでいる。
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