保留する勇気

紀里谷和明監督が出演しているPIVOTの動画を見ながら、色々と考えてしまった。

映画を見終わったとき、どうしてもとりあえず感想を出力しようとする自分がいる。「観てきました」という報告がてらツイッターでツイートしてみたりする。感想を”保留”にするというのが、なかなか難しい。

ちなみに、『世界の終わりから』を観てから2週間ほど経過した気がするのだけど、いまだに感想というものが浮かばない。おそらく、その体験をずっと感じながら、少しずつ消化しているのだと思う。

唯一自分の中で確かな感覚は「紀里谷和明監督の創る世界観が、ぼくが好きだ」ということだろうか。

もちろん、思い浮かぶ考えというか感覚は無数にある。

それでも、例えば「観てどうだった?」と聞かれたときに「観てよかったよ、おれは」というくらいに言語化できるものしか持ち合わせていない。

じゃあなんで観てよかったの?と言われると、そこに関する言語化の処理はまだできていない。

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観た映画をFilmarksのアプリで記録をつけているのだけど、レビューをするときに「これくらいかな」と頭の中で考えてアプリを開くと、「みんなはこんなスコアなんだ」という情報が入ってきて、そこで微調整をしてしまう自分がいたりする。3.8のつもりだったけど、3.9かな、とか。

感想の保留というのは勇気がいることのように感じるけど、自分が感じたことをしっかり感じるために、やったほうがいいんじゃないか、と思う。時間が経つにつれて自分のなかで存在感が増していくことだってある。

それでも難しいのは、友人と会話をするときに「どうだった?」という話に対して、なにかしらのわかりやすいものを吐き出そうとしてしまう自分がいたりもする。

ちなみに英語のreview(レビュー)という単語には「よく調べる」「再調査する」という意味が含まれているみたい。

レビューする、と言いながら、その内容がインスタントなものになっていないか、もっと吟味して少しずつ明かされていくものかもしれないのに。

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ということを書きながら、本や映画を選ぶときにレビューを見る自分がいるし、レビュー自体を否定するつもりは全くない。

以前にも書いた「他者の頭で考える」という面でも有効かもしれないし、価値観が人それぞれな分、見方、感じ方だって無数にあるものね。

考えてみたら、その場で「感じたこと」を言語化するというのは、なかなかの高度な作業のはずだ。それをすぐに強引に言語化しようとすると、本来の感じ方自体もねじれてしまうかもしれない。

感じたことを保留にしてみる。すぐには答え(のようなもの)が見つからないかもしれないけど、じっくりと自分の迷宮と付き合ってみる。他者と話すときも、「保留中です」という伝え方をしてみたり、そんな勇気をつけていきたいなぁと思ったお昼。

あ、朝ごはん食べてなかった。

※サムネは先日フォトウォークで撮影したもの

yoshikazu eri

当サイトの運営人。大阪生まれ千葉育ちの87年生まれ。好奇心旺盛の飽き性。昔は国語が苦手だったが『海辺のカフカ』を2日間で読破した日から読書好きに。気づいたら2時間散歩している。

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