ミスチルの『Sign』なつかしい、ドラマ『オレンジデイズ』を思い出した。
Re: 左が右を飲み込まんとす
当時おれは高校生だっただろうか、『オレンジデイズ』自体はテレビで流れていて、全部ちゃんと見たか記憶していないのだが、主演の柴咲コウつながりでいくと、やはりおれの脳は大好きなドラマ『夢のカリフォルニア』へと流れていく。堂本剛、柴咲コウ、国仲涼子のトリプル主演ドラマだった。
実際、俺のツイッターのプロフィールは場所が「夢のカリフォルニア」で職業は「ロシア料理レストラン」としている。これをみて「お、あのドラマ私も好きです」と反応する人がいれば、ぜひ酒を交わしたいところである。酒が苦手なら、烏龍茶でも大丈夫だ。安心してほしい。
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おれは普段から曲を聴くときに歌詞というのを意識したりはしない。どういう言葉を発しているか、という部分では認識していたりするのであるが、メッセージとして取り込むかというと、よほどの限り意識しない。聴いても、歌っても、あんまり歌詞のメッセージというのが頭に入ってこないのだ。なぜだかよくわからんが。
歌詞を噛み締めた、という意味で唯一浮かぶのは、上戸彩の『愛のために。』である。高校時代、この歌にハマってしまい、上戸彩にメールではあったがファンレターを送信した。なぜあんなに熱狂していたのか、思い返すとピンとこない。たぶん、ストレートな歌詞が響いたのだろうと想像する。
人生で唯一のファンレター送信がこの1件ではあるが、未送信のファンレターが1件ある。映画『インターステラー』を観た泣きながらの映画館の帰り道、帰宅して手書きでノーラン監督にメッセージをコピー用紙に書いた。当時の自分の状況というのもあるが、「限りある時間を大切な人に使うんだ」というメッセージをドコンと受け取り、勢いで書いたのであった。
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こうやって歌や映画などの興行から、そのときそのときの自分の精神状況も合わさり、メッセージが自分にいくつか残っていくのであるが、そろそろ『夢のカリフォルニア』の話に戻ろう。
このドラマからおれが受け取っている、そして今の自分の一部を形成しているとさえ思う言葉は「スポンジ」である。
主人公の山崎終(堂本剛)が就活で履歴書の自己アピール欄に書いた言葉が、スポンジである。ドラマのストーリー上ではこの言葉が「いいね!」という感じでは組み込まれていない印象ではあるが、ある意味でニュートラルな性格である山崎終が「スポンジ」と書くことが、おれには大きな意味のように思えた。
いまでも時折、おれは「スポンジでありたい」と思い出す。自分は無知であることを自覚しつつ、つねに学習する。「わかった」という傲慢な意識を捨て「無知」を自覚して「未知」を受け入れ、スポンジのごとく吸収していくのだ。
そういうメンタルがあるから、誰かと喋ったときに”知ったか”してしまったような自分の発言を、時間差で反省することがある。別の言い方をすれば、会話の瞬発力はないのであるが、これは自分の脳のアルゴリズムとして強く組み込まれているようで、自動的に数時間前の会話内容が脳内で再生され、そこから反省すべき発言を拾ってくるようなフローになっているようである。別に意識しなくても、勝手に「あ、あの言葉ちょっと違かったな」と思考が動いていたりする。
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ちょいと脱線したが、スポンジとはいっても変なものを吸収すると色が変わってしまうから、そこは多少は選ぶことが必要である。おそらく20代半ばくらいまでは「なんでも吸収するんだ俺は」という感じであったのだが、30を過ぎて、自分の”まじめアルゴリズム”にちょいと反抗するように「知らんがな」「はいはい」と脳内で(多少)跳ね返すスキルを手に入れた。
これをしないと、なんでも吸収した結果、ドス黒いスポンジができあがり、無限増殖ウイルスに感染して自爆してしまう。いまはウイルスかどうかを判断しつつ、それっぽいものはAdoが歌うごときに「うっせぇわ!」と脳内反抗する術を身につけている。
「どれを吸収するか」という意味ではウイルス回避術は身につけつつある俺であるが、こうしたネガティブなものの取捨選択以上に、そろそろポジティブなものの取捨選択も考えないといけないのかもしれない。自分をスポンジと捉えるなら、どんな色に染めたいのか、そもそも、スポンジの形だって調整可能かもしれない。
※サムネはUnsplashでみつけたスポンジ
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