鈍感だったものを感じとる

プーさんのパイプ椅子がこわれた。実家にあったやつを持ってきて使って、使用歴は10年以上になるだろう。壊れたといっても、まだ座れる。腰を支えるプレートのような上の部分が外れた。ある日掃除をしようと椅子を手でもったら、ボテっととれてしまった。

メインの椅子がもう一脚あり、プーさんはあくまでサブであったのだが、使うときはあるし、なによりショックではある。なんかほんと「ああ、取れちゃったよ」という感じであった。

とりあえず応急処置として、ヒモで縛っている。「JUST POOH」という文字の上から縛ったから、ヒモで文字の一部が隠れ「JUSOOH」という文字に変わっている。ジャスゥゥ

Re: 敏感鈍感往復船

敏感鈍感の話でいうと、おれはいま食を通して鈍感であった部分を感じようとしてるのかもしれないと思った。最後に風邪で寝込んだのは中学生か高校生かという感じで、体が丈夫なこともあってか、自分自身の「体の変化」を感じ取るのがヘタである。実は変化はでているのに、それを要因としてキャッチできていない。

メンタルからくる体の変化というのもあるかとは思うが、いまは「食事を変えることで体に変化はどう起こるのか」という視点に興味があるのだろうきっと。

例えば最近、朝にショウガ湯を飲むようにした。生姜100%の粉末を買って、熱湯を注いでいる。職場で早朝が特に冷えるから、衣服を調達しようかとも思ったが、お昼が近づくと逆に蒸れたりして「うぬぬぬ」という感じであった。それでなぜか「ショウガ湯飲むか」という判断にいたった。

まだ飲みはじめて数日であるが、早朝の寒さがちょいと軽減されているように感じる。多少は効果があるのではなかろうか。それか、単に気温が上がったのかもしれない。

「自分の体の変化」を感じ取ろうとしているのは、おれなりの”おじさん見習い”のための研修作業の一種なのかもしれない。「平穏な日々がええやんな」と思いながら過ごすなかで、鈍感だった部分を感じようとしているのは、既知のなかに未知を見出すことでもあるのだろう。

p.s. 昨夜、『浅草キッド』を観終えて、その余韻をもってそのまま『スタンダップコメディ入門』を読みはじめた。ジョー・ローガン、アンクル・ロジャー、ガブリエル・イグレイシアスと知っているコメディアンが登場してきた。あと、単に「おもしろい」ではなく、「あの人が言うからおもしろい」という視点は興味深かった。「なにが面白いのか」でとどまらず、そこに自分のアイデンティティを交えた上で融合させていくのは、ちょくちょく内省をする自分としては有益な視点であった。誰がやっても同じものをやるのではなく、自分がやるからおもしろくなる。まだ一章しか読んでいないが、ちょくちょく読んでいきたい本となった。

yoshikazu eri

当サイトの運営人。大阪生まれ千葉育ちの87年生まれ。好奇心旺盛の飽き性。昔は国語が苦手だったが『海辺のカフカ』を2日間で読破した日から読書好きに。気づいたら2時間散歩している。

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