不条理の中、命を懸ける『GANTZ:O』

ずいぶんと長い間、マイリストに入っていた映画『GANTZ:O』を昨日観た。実写版も見たことがあるのだけど、やっぱりガンツって好き。今朝、クライマックスシーンをもう一度観ていた。

フル3DCG映画として2016年に放送されたもので、原作の大阪編が舞台。戦う相手は妖怪がモチーフになっていて、モンスター映画としても面白い。ネトフリの『ラブ、デス&ロボット』に匹敵するようなCGクオリティがあった。

そもそも僕はアニメやCG作品を観たいと思うことが少なく、実写ものを観ることが圧倒的に多い。そのせいか、マイリストに置き去りにしてしまっていた。

ぼくがガンツの世界感に感じるキーワードは「仲間」「怪物」「希望」そして「不条理」である。この「不条理」がよいスパイスとなって、観ていると心が熱気を帯びるようなものになっている気がする。


ある日、自分は死んでしまう。でもなぜかある部屋で目覚める。ここは天国か?地獄か?生き返ったのか?と混乱しながら、同じような境遇の人たちに「新入りか」などと迎えられる。その殺風景な部屋にぽつんとあるのは、吸引をやめてしまったブラックホールのような球体、ガンツ。このガンツからのミッションの度に、怪物と戦い続けなくてはいけない。「なんで?」というのはみんなもわかっていない。

そんな不条理ななか、「なんなんだよこれ」と葛藤しながら怪物と戦う運命を背負うことになる。死んだっていうのに、天国にも地獄にも行けない。

でも、ミッション中に100点満点を取ると、開放されて生き返ることができる。もしくは強力な武器を手に入れたり、死んだ仲間を生き返らせることもできる。そんな希望もある。


ミッションには制限時間があり、時間内にラスボスが倒せないと全員死ぬ。メンバーにはおじさんから若者まで、戦闘力も様々。一番強いやつがラスボスを倒してくれるのを待つという手もあるが、その一番強いやつが苦戦したり、死んでしまったりすると、自分たちが戦うしかない。時間切れになると、みんな死んでしまうのだから。

映画では、ラスボスであるぬらりひょんを前に、主人公が「やるしかない」と立ち向かうシーンがある。それを女性メンバーが「でもどうやって!?死んじゃうよ」と止める。強いメンバーは全員死んでしまった。だから、やるしかないのである。誰かがやらなくては、みんな死んでしまう。

そこには「自分が死んでしまうかもしれない」という不安と、「メンバーや家族のために死ねない」という責任が入り混じって混沌としている。

そんな状況の中立ち向かっていく光景には、心が熱くなるものがある。「いけ!がんばれ!」と応援したくなる。純粋にかっこいいのである。


この映画では、ラスボスとして「ぬらりひょん」という妖怪がでてくるのだが、これがまたかっこいい。最初は酔っ払いのじじいだが、倒していくと、巨大な女へ、怪物へ、マッチョへ、死神へと進化していく。倒しても倒しても「これからが本番だ」と化けの皮が剥がれていく。

観ていて「ぬらりひょんってそんな妖怪なのか?」と気になったので調べてみたら、ぬらりひょんは妖怪の総大将だそう。しかもその姿が定まっていないとの話もあった。ただのハゲじじいかと思ったら、すごい妖怪なのであった。

ぼくは滅多に恋愛映画はみないのだけど、ガンツには恋愛要素もある。ただそれはあくまで映画の一部であって、よいスパイスにもなっている。そうした異性愛もありつつ、「家族のために死ぬわけにはいかない」という責任感も混じって、命をかけて怪物に立ち向かっていく。


英語で「I didn’t sign up for this!」という表現がある。これは「こんなの聞いてないぞ!」とか「こんなことになるなら来てなかったぞ!」みたいな意味がある。ガンツは、全メンバーがこんなフレーズを脳内で何度も叫びながら、それでも「やるしかない」と不条理下で立ち向かっていく。その姿が、残酷で美しい。

「世の中は不公平だ」という言葉もある。実際に社会にも不条理はたくさんあるだろう。そうした状況に出会したときに立ちすくむのではなく、「やるしかないんだ」と前に進む勇気がもらえるような映画だった。

実写版も、また観たくなったなぁ。

yoshikazu eri

当サイトの運営人。大阪生まれ千葉育ちの87年生まれ。好奇心旺盛の飽き性。昔は国語が苦手だったが『海辺のカフカ』を2日間で読破した日から読書好きに。気づいたら2時間散歩している。

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