やさしいスイッチ

この交換日記は、おれも同じようにある種の”スイッチ”になっていると感じてる。「書かなきゃ」ではなく「書いてもいいんだ」というような、やさしいスイッチというか。

Re: 吐き出スイッチ

スイッチというのは、おれのなかで放出と重なってはいて、今までは「インプットばかりしていると肌がむくむ」という言葉で認識していたのだけど、「脳の便秘」というのもわかりやすい。いずれしても、自分が選ぶ選ばないに関係なく、膨大な情報が勝手に流れ込んでしまういまの時代は、昔よりも多めにウ○コ出さないといけないよなって思う。生理現象として必要なものだわなぁ。

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アウトプットの話は横に置かせてもらって、インプットも大事ではある。おれの場合、その目的のひとつの必要な生理現象としての「放出」もあるけど、「学習欲」というのもあると思う。

そもそもの性として学習が好きというのもあるけど、その方向性だっていろいろあるわけだ。それがアートになったり、経済になったりする。これたぶん、自分がどの時期に、どういうジャンルの本を読んでいるかのデータをとったら、そのときの自分の意識が「なんか創りたい」なのか「社会ってなんだ」なのか、どっちに寄ってるのか傾向がでているように想像する。

社会に暮らしている以上、その仕組みをもっと知りたい、というのはあるのだけど、たぶんそこにはある種の劣等感としての「自分は社会にあんまり適合しない」というのがあるような気もしている。適合しないと自覚しているからこそ、「おれの居場所だってあるはずだ」とムキになってインプットしていたり。そういう面もあるだろうなぁ。

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「好きなことで、生きていく」みたいなワードをYoutubeが打ち出した時期があった。それで、これがある種の甘い蜜だったと認識している自分もいて、「好きなこと」と「社会」の接点がどこにあるのか、というのを「できること」「やりたいこと」「マジでやりたいこと」「できればしたくないこと」「マジ無理なこと」「ワクワクすること」「そわそわすること」「なんかやっちゃうこと」みたいに分解して、解像度を高めている最中なのだろうな。

いまはわりと充電モードではあるけど、この解像度を高めるために、これからまたいろいろとやっては、やめて、またやっては、またはじめて、を繰り返していくのだろう。サイクルだ、自然だ。

その指針のひとつとしてインプットがあり、それを消化して、排出して、をやっていきながら、情報を栄養に変換して、その体で動いて、みたいなことをやっていくのだろう。

なんか最近は、自分のことを”永遠のベータ版”みたいに思うようにしている。リリースに向けてアップデートを繰り返していくが、実はリリースするつもりはない、詐欺みたいな設計である。でもその詐欺がサギに進化して、ペリカンになっちゃうことだってありうる。ペリカンからカブトムシになるかもしれない。キノコを従えるフェレットになるかもしれない。

ちょっと意味がわからない。このあたりで手をとめようか。

※サムネはUnsplashより

yoshikazu eri

当サイトの運営人。大阪生まれ千葉育ちの87年生まれ。好奇心旺盛の飽き性。昔は国語が苦手だったが『海辺のカフカ』を2日間で読破した日から読書好きに。気づいたら2時間散歩している。

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