先日、小倉で買った本『本と怠け者』を読み終えた。著者による書評集のような本なのだが、紹介されている作家のことを誰一人として知らなかった。
そもそも著者の荻原魚雷は古書好きというのもあり、本の選び方がしぶいというのもあるのかもしれないが、それでも「この作家、知らないぞ」と検索の連続だった。読みたい本が増え、ワクワクの連続だった。
この本を読んでいると著者の生活感が伝わってくるような文章もあるのだが、なんだか、自分と似ている部分があるのか、共感できたせいか、紹介されている本が余計に読みたくなった。
尾崎一雄、天野忠、関口良雄、深沢七郎、梅崎春生。とりあえず、気になった作家の名前をメモして、アマゾンの欲しいものリストに加えていった。
自分はけっこう怠惰欲が強いのではないか、とこの本を読んで考えた。タイトルに「怠け者」とあるように、著者自身もこの欲が強いのだろうし、紹介されている作家の生き様にも、これは現れていることがあった。
もちろん、生活のためにお金を稼がなくてはいけない。ただ著者は都内に風呂なしアパートを借り、月10万円あれば生活できるような暮らしをしていたそうである。資本主義社会にはどっぷり浸かっていない。
誰にだって怠惰欲はある。わかる。それで実際に怠けていると「刺激がほしい」とか「退屈だ」とか、無い物ねだりをしたくなるのが人間ではある。僕もそうである。
そうやっていろいろやっていくと、欲求を叶えることによる満足というのは幻想に近く、何かを手に入れ、また新しいものを求め、失ったものが恋しくなる。「人生には不安がつきもの」というのが最近身に染みてきている。不安がなくなる人生というのは、ないのだろうなと思う。
ただ思うのは、そうやってあれもこれも求めて「不安だ」という人生を進んでいくなかで、なにかしたらのその人なりの傾向というのはあるのだと思う。僕の場合は、これが怠惰の方向にちょっと傾いている気がする。
「怠惰」という表現が妥当なのかはわからないが、言い換えると「平坦」「平和」「静か」みたいな表現も浮かぶ。今まで何度か燃え上がって物事に熱中してきたことがあるが、その経験から「自分は平熱のまま生きるのが好きなのかもしれない」と少しずつ思いはじめた。
刺激もほしいが、燃え上がるようながったんごっとんな人生よりも、その燃え上がりは微熱くらいに留めたいのかもしれない。健康診断にいくと「低血圧ですね」と毎回言われるのも関係しているのか。
人それぞれの人生のペースというのがあって、そのときに応じてイベントが起こりつつも、「基本的なペースはどれくらい?」というのがあるのだろう。この「基本的な」というのが大事である。
ぼくの「基本的な」人生のペースというは、平坦、平熱、ゆったり、そんな感じだろうなと思う。しかし、ときどき内面でちょっと燃えることがある。
今まではこの「燃え上がり」のペースに任せてきたけど、そろそろ自分でコントロールすることを少し学んでもいいのかもしれない。高熱になりそうな火を微熱くらいに抑える。できるだけ平熱の世界からでないようにする。
そんなことをもんもんと考えてしまったり、このヒントになるような作家の本を探し求めてしまう本であった。
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