疑似老後と距離感

おそらく、老後としては2回目である。前回は、福岡での半年ほどの期間であった。今回は、東京で二度目となる。毎回すごしながら、「おれの老後ってこんな感じかなぁ」と思うのである。

そこには「生活費をどう稼ぐか」というお題が課せられつつも、あせる必要はない、という感じである。だからなにやったっていい、という期間である。

実際の老後というのは、70歳か80歳か、それくらいになるのだろうと思うけど、老後を疑似体験している気分である。はたらく必要がなくなったとき、自分はどうするのか、というのが見えかくれするような期間である。といっても時間の問題ではたらかなくていけないのだけど。そういう意味で期間限定の老後である。

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といっても、日々の行動を俯瞰してみると、それは「はたらく」に向かっていくための行動ではある。過去を振りかえって、興味関心をみつけ、映画館にいったり、ゼルダに夢中になったり、いまは読書モードである。

どこまでいっても「自分」と「社会」の重なる地点を探しているようなもので、昨日ちょいと考えてみると、いままでの活動は「社会になじむための距離感の試行錯誤」ということではないかと思い立った。

たとえば、「また水彩画が描きたい」と思ったら、描けばいいだけの話である。誰もとめない。でも、これはなんか違う。こういうパターンはどうも自分の感情があまり動かない。でも、こういうのを好奇心のままにとりあえずやってみると、なにか発見があったりはする。

実際、ゼルダをやることと「はたらく」ことには繋がりはないが、「おもしろそうだ」とやってみたら、好奇心のフタが開いた。でてきたんだから、それは生きもの同然で、ゼルダを全クリしたあとも、そのあたりをうようよとうごめいている。それが、今度は「読書」にうつった。

そういう意味で、感情優先の「やってみたい」も大事だとは思っている。

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さっきの「社会になじむための距離感の試行錯誤」の話にもどるが、これをどうやってきたかというと、「手段」を変えて、「話題」を変えて、という感じだったと思う。話し相手(社会)に向かって、自分が心地よい距離感をさぐってきた。

手段でいえば、それがブログ、動画、音声と変わっていった。対面の会話がどうも苦手だった自分としては、25歳にブログに出会ったとき、うれしかった。これだったら、好きなだけ時間をかけて考え、相手に伝えることができるじゃないか、と。

それが動画になり、情報濃度が増えた。自分の顔も出した。その次は、「音」に収縮した。

まぁ、時代の流れというのもあった。ブログをやっていた頃は「ブログで食っていく」なんて高々といわれていたし、Youtubeをはじめたときも「動画の時代がくる」といわれていた。ポッドキャストをはじめたときだって、「これからは音声がくる」ともいわれた。そういう意味で、時代の波によいこらしょと乗っかってきたのもある。特に、Youtubeに関してはタイミングに恵まれた、というのは大きい。

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話題でいえば、ブログ時代は「旅」「好きな映画」「日々の気づき」「農業」と、とりあえずしゃべってみたいことをいろいろと書いていった。これが動画ではスケボーに、音声では音楽(DTM、BGM)となっていった。

だれかと会話をするとき、その相手を「社会」と見立てたならば、自分は「対面はちょっと苦手なもので…」と冷や汗をかきながら、「これだったらどうでしょう」と手段と変え、話題を変え、距離感を探ってきたのである。

ボールを相手にどう投げるのか、となったときに、ボールが「話題」で、その投げ方が「手段」であると考える。そのボールは丸いのか、四角いのか、細長いのか。投げるのも、まっすぐか、上にポーンか、転がすのか、といった具合である。そうやってなにかを投げたとき、自分も相手も心地よいやり方というのはなんなのだろうか。

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学習欲が高い自分が、「ひとりでやればいいじゃん」ではなく、なんらかの形で一般公開したい欲があることがひっかかっていて、それを「承認欲求」と呼んでいたりもしたのだけど、こうやって考えてみると、そこにはたぶん、「社会になじみたい」というコンプレックスのようなものも作用しているように思う。

まるっきしなじんでいくのは起こらないと思うが、たとえば、青と黄色のマルを重ねて描いてみたときに、その重なりが緑になるポイントというか。それが「なじむ」かもしれない。青という社会があり、黄色という自分がいて、それが重なって「緑」というものが生まれる。その緑は両方の領域をまたいでいる。その緑を探しているのだと思う。

たぶん、自分は社会とちょっとズレている。それはなんなのか。そんなことを『世間とズレちゃうのはしょうがない』を読みながらおもう金曜日のお昼ごろである。

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そういえば、ジブリの新作を2回観た。あれは、これからの人生で何度となく観る映画になりそうである。

※サムネはUnsplashより

yoshikazu eri

当サイトの運営人。大阪生まれ千葉育ちの87年生まれ。好奇心旺盛の飽き性。昔は国語が苦手だったが『海辺のカフカ』を2日間で読破した日から読書好きに。気づいたら2時間散歩している。

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