左利きのヨッシー

届いた日記を読みながら、以前たまたま見た動画で誰かが言っていた言葉がふと浮かんだ。「年を重ねて、経験を積んで、意見や価値観が変わったとしても、根っこの自分って変わらないんですよ。変わったように見えて『同じこと言ってるな』となったりする」みたいなことをその人物は言っていた。

これを聞いて「そうなんだ!」と賛成したのでもなく、否定するのでもなく、「そうかあ」と思ったくらいの温度感だったと記憶している。

Re: 「み」じゃなく「ね」だった

「そういえば」となんとなくハチナナハチハチに自分が書いた初期の記事を読んでみた。2012年、もう11年も前になる。

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最初は「いま、世界一周してます。」という記事で自己紹介をしていた。自分のことを「左利きのヨッシー」と呼んでいる。たぶんかっこよく表現したつもりはなかったのだと思うが、その4年後に『左ききのエレン』が登場したことで、ドヤ顔と共にポーズも決めちゃってるかもしれない雰囲気が「左利きのヨッシー」という文字列に加わっている。

いまのような独り言に近いものではなく、読者を意識した文体である。ブログ、ツイッター、フェイスブック、ピンタレストのリンクが貼られているが、2023年も有効なのはフェイスブックのみである。FBだけが、11年間変わっていない。

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なぜ、私は”堂本剛”に惹かれるのか?」なんて記事も書いていた。一部のテキストを強調するために下線を活用していて、「それは読者がハイパーリンクだと勘違いするから、まぎらわしいぞ」と今の自分がツッコむ。堂本剛にだいぶ惚れている。いつか一緒に飲んでみたいと言っている。

あれから11年後の心情としては、会えたらうれしいが、会えなくてもいいかもな、とも思っている。あえて会わないほうがいい、そんな存在の気もしてきている。でも、どこかで自分の人生と堂本剛の人生が接近するタイミングがあるのであれば、それは素敵なことだし、大興奮である。その接近には気づきたい。昔は「会いたい!!!」だったが、いまは「あいたいかも」という温度感である。いったいおれは何様のつもりだ。たぶん「堂本剛にありがとうを伝えたい人」様のつもりである。

11年前の自分が2023年の自分の記事を読んだら、「えらそうな文体だな」と思ってそうだし、おれはおれで昔の自分の文章を「かるい文体だな」と思ったりもする。「である」文体はたしかに「えらそうだな」と思っていたけど、それをえらそうにするためではなく、適度な温度感や距離感をつくるために「である」しているのは、自分も変わったなあ、と感じる。

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ぜんぜんまとまりそうもないから、ここいらで終わらそう。

ネットで知って、じゃみーが買っていたのもあってか、いま『一汁一菜でよいという提案』を読んでいる。『村に火をつけ、白痴になれ』を読み終え、たまに『月と散文』『ボッコちゃん』『僕の人生には事件が起きない』をつまみ読み、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』『ある行旅死亡人の物語』『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』が一軍の積読本として机に積まれている。

今夜は、ご飯と味噌汁じゃ。じゃじゃい。

※サムネはUnsplashより

yoshikazu eri

当サイトの運営人。大阪生まれ千葉育ちの87年生まれ。好奇心旺盛の飽き性。昔は国語が苦手だったが『海辺のカフカ』を2日間で読破した日から読書好きに。気づいたら2時間散歩している。

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