淡々と些細

WordPressにログインするとき、毎回「表示された文字を入力してください」とでる。ボット対策的なやつだ。今回はそれが「さあさあ」だった。なんだかコンピューターに「さあさあ、はじめましょう」と背中をやさしく押された気分である。

昨夜、楳図かずおの『14歳』を読みながら、寝落ちしていた。2度目である。ふとんをひいて、ぬくぬくしながら夜9時頃に読みはじめ、眠気に負けて、そのまま倒れ込んで寝ていた。起きると24時頃であった。疲れているというよりは、毎朝5時半起きだから、単純に体が寝る時間だと判定しているんだろう。

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毎日変わり映えのない淡々とした日々を過ごしていると、日常の些細なことに意識が向くような気がする。例えば、トイレットペーパーのストックをやりやすくしようとか、ボックスティッシュにカバーつけようかしら、とか。

最近は、「お昼自分で準備すればいいんじゃん」とスープジャーを使いはじめた。これによって出勤時にコンビニに寄る必要がなくなった。ジャーの中身だって、昨夜のみそ汁のみである。いまは、朝昼晩と3食だから、お昼は抜いたって構わないのであるが、職場で「えりさん、お昼食べないんだ」と思われるのが面倒で、とりあえず食べてるポーズでもとっておこうか、という温度感もあったりする。こういうのは、昔からの「空気をゆらさない」という感情もひもづいているように思う。そんでさらに節約にもなるんだから、一石二鳥というやつである。

ちょいと話が別の方向に広がりそうになったが、そうそう、日常の些細なことの話である。なにも考えずにやっていたような”当たり前”の行為を、もうちょっと便利にしてみる。毎日が淡々としていると、そっちの方向に意識が向きやすいのかもしれない。

べつに不便ではないが、もうちょっと改良できるのではないか、そういうネジを最後にぐいっときつくしめるような、仕上げのような行為だろうか。うーん、ちょっと例えがわかりにくい。まあでも、グッドな状況をグレードな状況に変えていくような感じである。その対象が、日々の当たり前にやっていた行為にむく。この微調整改善が楽しかったりする。生活が便利になるんだし。

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「ティッシュって繰り返し使用できないのか」と思って、ネットで調べみたらそれっぽい商品が3000円くらいであった。だが、さすがに鼻をかんでそれをまた使用するなんてきついだろう。洗ったとて。”繰り返し使用できる”といっても用途に限りがある。

おたま置きがほしいと思い、昨日ダイソーにいったが、唯一あったのは陶器でできた灰皿を改良したみたいなやつだった。見た目が灰皿だと、なんか心理的に気持ちがすすまない。ボックスティッシュのカバーも探したが、見当たらなかった。

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書きながら思ったが、これはもしかしたら仕事がはじまって新しい生活リズムがつくられているから、それを整えたいだけかもしれない。2年ほど前に就職したときも、こういうのあった気がする。

毎朝なにをして、帰りは何時くらいで、途中にどこかに寄るとどれくらい時間がかかるのか。さすがに野菜はスーパーで買うが、米などの大きいやつは通販のほうが便利なんじゃないか、と買い物を効率しようともする。値段を比較する。タイムイズマネーのような考え方をしながら、「値段は高いけど、通販だと届けてくれるからな」とかって比べてみたりする。

そういうことを考えながら、並行してマイプロジェクトのビジネスを考える。こっちが見つかると、日常の些細なことへの意識はうすれて、プロジェクトのほうに熱意が流れるのだろう。

今日は本屋にいって、ついでに日常を改善してくれるグッズでも見てこよう。天気アプリは曇りといっているが、雨がふりそうで不安だ。最近ゲリラがあるもんなあ。

yoshikazu eri

当サイトの運営人。大阪生まれ千葉育ちの87年生まれ。好奇心旺盛の飽き性。昔は国語が苦手だったが『海辺のカフカ』を2日間で読破した日から読書好きに。気づいたら2時間散歩している。

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