文章でのアウトプット

サイトを作ったそもそもの目的は、アウトプット先の確保である。情報過多な時代だから、気づくとインプットが多くなってしまい、肌がむくんでしまう。インプットばかり膨れ上がると、メンタルにも悪い影響がでることがある。

このバランスを保つために、日々のアウトプットも忘れずにいたいのだけど、このアウトプット形式として選んだのが「ブログ=文章」だった。ユーチューバーが職業としての地位を確立しつつあって、「これから音声の時代がくる」とも言われるなかで、いまさらテキストである。

なんでなんだろう?と自問自答しながら書いていきたい。

アウトプットの目的

まず、なぜアウトプットが必要かと言われれば、いろいろと理由がある。読んだ本の感想であったり、意見を伝えることであったり、モヤモヤを吐き出すことであったり、そこには「理解の深まり」とか「不安の解消」とかがある気がする。

ただ、ぼくはアウトプットの目的を「ご飯を食べたらウンチを出さないとね」と理解している。なんか「このサイトはウンチの集まりです」みたいになりそうであれだけど、要するに「適度にアウトプットしないと便秘になるよ。肌がむくむよ」みたいなことである。

だれだって便秘はイヤだし、肌がむくんだ状態で過ごしたくはないはず。ぼくだってそうである。だからウンチ(アウトプット)は忘れずにしたい。

ちなみにこの表現は『自分の薬をつくる』(坂口恭平)という本で知ったもの。

私たちの体はただ取り込むだけじゃいけない、むしろ取り込むだけだと窒息して死んでしまう、内臓が破裂して死んでしまう、つまり、かなり危険だということを知っています。(中略)それだと苦しいので、体が自然と吐き出します。体が自然とウンチをします。痛くなるし、苦しくなるし、そうしないと死んでしまうから当然なんです。

『自分の薬をつくる』38ページより

これはあくまで例えであって、ぼくがこのサイトをウンチで埋め尽くしたいわけではないことは補足しておく。

マイペースを実現するために

アウトプットが重要なことはわかったけど、それをどうやって実行する?となったときに、まず浮かんだ考えが「自分だけのスペースを作ろう」だった。

なにも僕の人生のアウトプットを100%ブログに移行しようという話ではなく、あくまで一部を、という話。

だって、家族や友達としゃべることもアウトプットだし、写真や動画を撮ること、録音することだってそう。アウトプット方法というのは多様だし、「どれにしようか」という単純な話でもない。

いまはコロナで人と会う機会が減った分、アウトプットのハードルが上がっている気もする。今まで自然にできていた発散の量が減っているとも思う。

だからとりあえず、自分でアウトプット量を増やすことができる、コントロールできる環境がほしいと思った。外側の環境に左右されず、かつマイペースに継続できそうな環境を。

とはいっても、他にも動画や音声がアウトプット形式としてあるわけで、なんであえて文章を選んだんだろうか。理由としては、2つある。

1)動画や音声に比べてデータ量が少ない

この「データ量が少ない」は「手間が少ない」とも言い換えられる。

誤解のないように補足すると、これは文章コンテンツの作成ハードルが低い、という意味ではなく、1本の動画、1本の音声をネット上にアップロードする時間に比べて、文章だとデータ量が少ないおかげでさくっと投稿することができるから。「気軽に」アウトプットしやすい。

今まで動画制作や音声配信も経験してきたけど、コンテンツ制作をどれだけ簡略化して時間を縮めても、データの取り込み、編集、アップロードで時間が取られてしまう。例え編集なしでも、データ量があるせいでそれをPC側で処理してネット上に送る作業にそこそこ時間がかかる。

あ、いや、音声配信はそこまでストレスがないかもしれない。ただ、音声に比べると文章は… 次の理由にいこう。

2)自分の頭で考える引力が働く

これはいまいち自分のなかでハッキリと理由はわからないけど、アウトプット形式として考えたときに、動画や音声に比べて、文章は脳に汗をかくことが多い。

ある程度書き上げてから時間をおいて読んでみると、「ここはいらないかな」とか「ここは漢字ではなくてひらがなにしよう」とか「ちょっと順番がおかしいな」とか、微調整でなかなかの汗をかく。

この微調整の「微」が動画や音声に比べて細かい気がする。このせいか、考える引力が働きやすいと思う。

書店で読みたい本を探しているとき、「これについては考えたことあるな」と感じた本は買うようにしているのだけど、その理由は「理解している」と「言語化できている」の差が大きいから。

「これについてはさくっと書けるでしょ」と思うようなトピックで記事を書きはじめてみると、いやいや後半で苦戦することがよくある。言葉がメインな分、ナイーブな気がする。

ぼくは自分の頭で考える力を鍛え続けたいから、これが一番有効だと思った「文章」という形式を選んだ。

とはいってもね

そんな毎回「しっかり考えるんだぞ」と意気込んでいては継続できない。だから、あくまでポテンシャルとして「考える力が鍛えられる」というのがあり、かつ動きが少なくて静かな感じが自分の性格とも合ってるかなと思って、ブログという方法を選んだ。

もちろん、動画や音声を投稿することは今まであったし、これからもあるだろうし、ここは「どれか」という話ではなくグラデーションだと思う。

ただ、ネット上の自分だけのスペース、本拠地のような場所はブログがいいのではないかと。

yoshikazu eri

当サイトの運営人。大阪生まれ千葉育ちの87年生まれ。好奇心旺盛の飽き性。昔は国語が苦手だったが『海辺のカフカ』を2日間で読破した日から読書好きに。気づいたら2時間散歩している。

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