腹八分目と飽き

X(Twitter)のスペースにて坂口恭平さんと宮台真司さんの対談が配信されていて、それを聴いたのがあって、宮台さんの『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』が読みたくなった。昨日はとある展示会を見に出かけたのであるが、その帰りに書店に寄って買おうと思っていたところ、3件寄っても見当たらない。幻冬舎文庫コーナーには「宮台」も「私たちは…」の文字がなかった。

こんなことってあるのか、どういうことだ、と思いながら仕方なくAmazonでポチった。Amazonで本を1冊買うと梱包があまく、本が微妙にダメージを受けていたりするから、できればしたくないのだが。内部で本が固定されていないことがほとんどで、中で本が遊んでしまう感じなのだ。友人は「そんなことないよ」と言っていたから、おれだけそういう待遇をされているのかもしれない。

届くのはおそらく今日の夕方になる。今日も出かけようと思っていたりするから、そうすると書店で買ったほうが早いのではないか、Amazonで買っちまったなあと小さな後悔をしつつ、でも出かけるといっても昨日と同じ方角になりそうだから、そうすると昨日と同じ書店に出くわすことになる。在庫はないだろう。Amazonで買うのがよかったのだ、といい聞かせることにした。

Re: ケケケの記太郎

実はおれも『LIGHTHOUSE』を観ていて、いま5話を70%ほど観終えたところである。「飽きた」の話は、自分にとってなかなか重たい話だ。共感しそうになるが、「飽きた」という言葉のニュアンスをあんまりつかみきれていない気もする。こういうときは、自宅にある辞典を引いてみる。

【飽きる】
同じことが長く続くなどして興味や関心が失われたり 積極的に取り組もうとする意欲がなくなったり する。

新明解国語辞典 第八版 15項

これはわかる。自分のなかにある意味とそんなに離れていない。

あ•く【飽く•厭く•倦く】
みたされた気持ちになる。満足する。また、十分になってもうたくさんだと思う。いやになる。飽きる。

[ 語源説 ]
アキ(秋)に通じる
アヂハヒコキ(味濃)の転略
イナク(否来)の義。好くの反対
アク(明)と同義

日本語源大辞典 33項(語源説は一部を引用)

「飽きる」という言葉にはちょっとネガティブな意味があるようである。「満足する」といっても、それがその場の食事のような短いスパンであれば「おいしかった」でポジティブに寄りそうだが、それが長いスパンになることで「もうたくさんだ」とネガティブに転じるような印象である。

飽きないためには、なにごとも腹八分目がよいということだろうか。それって、あえて抑えるということじゃないか。それはとっても難しい。おれは好きになったらおりゃー!と一気にやってしまう。腹12分目になっちゃう。そのときは「燃え尽きた」とか「次に進もう」という言葉を思い浮かべたものだが、これも「飽きる」なのかもしれない。

— ☕️ —

自分の今までの人生で、よくもわるくも大きなピークのようなものを形成した行動にバックパッカー旅がある。死ぬまでに世界一周はしてみたい。そんな想いが20代半ばで叶ってしまったので(文字通りの世界一周ではなかったけど)、帰国したとき人生の目的がぽっと空になったような感覚があった。

次はどうしたらいいんだろう。そういう虚無感を抱えながらも、意識的に自己暗示をかけるようにもして、いろいろとやってきた。いまでも死ぬまでにしたいことはたくさんある。ただ、その中に「死ぬまでにどうしてもしたいこと」はいくつあるんだろうか、と思う。「自分の本を出す」は割と大きめなことではあるけど、それでもなにがなんでも出したいか、と言われるとどうかなあと思うし、「そのタイミングがくればうれしい」という感じで、そんなに燃えてはいないのである。

そういうのもあってか最近は「痕跡を残す」とか「平熱で」とかって言葉を使っているのだろう。どこかのタイミングでガガガー!と高熱を注いじゃうものに出会えたらそりゃ最高だが、そこにぶらさがろうとするのはそろそろちょっと違うのではないか、とも思っている。そういう”高熱”を目線にとらえながらも、土台は平熱にして、発信物を「読んでもらいたい!」というよりは「痕跡を残しておく」というニュアンスになってきている。

大きなビームで社会になにかを発信する、というよりは、やわらかなオーラを保ちながら、淡々と自分の居場所をつくっていく。そういう方向性にマインドが変わっているのかもしれない。心地はよさそうな「自分の居場所をつくる」という言葉への解像度は、まだまだ荒い。ただ、長期スパンであることを考えると、平熱ときどき微熱くらいがちょうどいいのかもしれないと思ったり。そして、それを自分自身でつくりながらも、そこでは「他者」という存在がかなり大切になってくるのではないだろうか、とぼんやり、直感的に思う。

— ☕️ —

ハイパーリンクを設定しながら「退屈を操縦する」っていい表現だなあと思い、「飽きると退屈ってどう違うんだ」と疑問がわき、風呂敷を広げそうになったところで終わりとしよう。

※サムネはUnsplashより

yoshikazu eri

当サイトの運営人。大阪生まれ千葉育ちの87年生まれ。好奇心旺盛の飽き性。昔は国語が苦手だったが『海辺のカフカ』を2日間で読破した日から読書好きに。気づいたら2時間散歩している。

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