モヤによる後半の言葉の壁

毎朝、手書きでその場の思考を真っ白なノートに書き、はきだしていく。おれもそういうのを前にやったことがある。

Re: 夜を生きぬく

「毎朝」と書いたけど、続いたのはだいたい数日間だった。浮かぶ思考をどんどん書いていき、1ページほどがうまったところで「もう手がだめだ…」と筋肉が限界をむかえる。こうしたことを「やるといいよ」と語る本は何冊か読んできていて、「やってみたい」と何度も思い、実際に何度かやってきている。おれがこれに十分な魅力を感じているということだとは思う。いつかやってみたい、と。

それでも、やってみると手が疲れてしまう。限界が1ページなら、それを規定量として、無理のない範囲で続けるという選択肢もあったのだろうけど、最終的に手が悲鳴をあげてしまい、1週間も続いたことがあったかどうか定かではない。どう考えても手の筋肉が足りないのが理由なのに、「日本語っちゅうのは左利きには不利な言語なんでね」と自分の特性を逆手にとり、言い訳として悪用している。

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以前、何冊か作品を読んだことのある作家が、毎朝大量の文章を原稿用紙に書いている、ということを知った。その作家いわく、とにかく書くのだ、ということである。質より量だ、というやつである。当然感化され、その数日後、まさかの文章を読んだ。

「まあ、パソコンで書いちゃうと楽ですからね。」

いままでずっと”手書き”していたと思っていたその作家は、実はパソコンのキーボードで”打ち込んでいた”という事実を匂わす発言である。その作家の作品と、原稿用紙に向かって言葉を手書きしている風景が脳内でだんだんと重なってきていたものが、すっと離れ、それは落胆でもなく、怒りでもなく、「ですよね」という拍子抜けしたような心のつぶやきが浮かび、残った。後日ブックオフに寄ったとき、その作家の本を見かけた。「買ったろうか」と手が伸びそうになる自分がいた。ちょっと怒っていたようである。

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このブログは実は昨日書いていた。この先にも文章があったのであるが、それは消した。昨日はなんだか脳内がまとまらず、かといって「えいや」と公開するのもちょっと違くて、いまその続きを書いている。

「消した」という部分があーだこーだ考えていた部分なのだけど、こういうモヤがかった文章を後日編集しようとすると苦労するから、一旦消してみるのがいい、となんとなく思っている。この交換日記はがんばって書くものでもないし、上書きより新規作成のほうがすっと書けるときがある。とはいっても、前半は残したけども。

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それでなにがモヤがかっていたかというと、本を買うとき新品か、中古か、という話である。

本にまったく興味がなくてたまに買うくらいであれば、こんなモヤっとはしないのだけど、なんせおれは本が大好きで、これからもずっと本のある世界が続いてほしいと切に願う一員である。中古で買うという行為は、この願いにはほぼ貢献しないだろう。できる限り、本は新品で買いたいと思っている。

それでも財布の器にも限界があるから、ときどき中古で買うときはある。安く買えるというのは、ありがたい。「おれは本のある世界を愛している。絶対に中古では買わないぞ」と言いながら自己破産してしまったら、元も子もない。いや、もしかしたら1冊の本にはなるかもしれない。

と書きながら「これはまた大風呂敷ひろげるパターンだな」と危機を感じている。廃版でそもそも新品で買えない本だってある。たまたま入ったブックオフでたまたまよい本に出会い「すぐ読みたい」と思って買うときだってあるしそもそもブックオフに検問があって「今月はもう10冊買ってますよ。残りは新品で買ってくださいね」とはねかえす警備員がいるわけでもないから、おれはただ本がたくさんある素敵な環境にすいこまれて理由もなく身体がそっちを目指して入店してしまうわけだ。本って素晴らしい。このモヤモヤは最近小説とかエッセイを読みはじめて自分の中で”著者”という存在がより浮き出ているのと「いつか自分もこういうの書きたいなあ」という未来の妄想もからんでいるのだろう。中古で買う行為がその妄想を阻害するような行為として脳内で存在感を増しているのかもしれないマジメ脳。いや、買えばええやん、中古で買いたいときは買えばええやん、新品で買えるんなら買えばええやん、あんまり考えすぎてもどうしようもないで、と別の自分が言う。とりあえず、中古で買うという行為は奨学金ということにしておこう。安く買えた分のお金は借りで、その借りをいつか返す前提で中古で買うのだ。調べたら奨学金には年齢制限はないということである。おれは本の大学に入学していて、経済的もしくは他のさまざまな理由で新品で本を買えない場合があるので、その分の奨学金をもらっているのだ。ありがたいことにこの奨学金には返済期限がない。しぬまでに可能な限り返済する姿勢さえみせれば問題ないという制度である。

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モヤがかって、最後はそのままはきだして言葉の壁をつくってしまった。一旦書いたものを書き直すというのはなかなか大変だわな。自分が書いたからといって、昨日の自分と今日の自分はだいぶ違うこともある。明日の自分だって、だいぶ変わっているかもしれない。

※サムネはUnsplashより

yoshikazu eri

当サイトの運営人。大阪生まれ千葉育ちの87年生まれ。好奇心旺盛の飽き性。昔は国語が苦手だったが『海辺のカフカ』を2日間で読破した日から読書好きに。気づいたら2時間散歩している。

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