自前の冒険パックツアー

根っこは、みんなが持っているもの。知らず知らずのうちにそれは伸びて、太さを増し、日々形を変える。根っこは「やりたいこと」と同義でもない。みんなが根っこを持っていることは、みんなが「やりたいこと」を持っていることの事実に繋がるわけでもない。でも、みんな根っこを持っている。それはたぶん、真下に伸びている。

そうやって考えてみると、「根性」という言葉にも少し親近感がわいてくる。茎性、枝性、葉性、実性ではなく「根性」という言い方をするのは、この言葉が「おりゃー!」という熱気あふれる行為に限らないことを意味するような気がしてきた。やさしい根性、どこかにあるのかもしれない。

Re: 高空飛行

25歳にバックパッカー旅に出かけてからの活動というのは、ふりかえると「おりゃー!」という感じだったかもしれない。面白そうなものに飛びついて、努力という言葉を溶かすほどの熱量でぐいぐいと進み、上昇気流のようなものも体験した。根性論だ!おりゃー!という感じではぜんぜんなかったし、そういうのは苦手だったのだけど、実は「根性」という言葉は自分の近くに浮遊していたんじゃないか、と振り返って想像する。

低空飛行は、いい。おれは状況が一変する、急に変わるというのが苦手である。だったら、じわじわとやっていきたい。でも、「山登りてー!」という欲求もあるから、ややこしい。山も登りたいが、目の前に急に山がでてくるとあたふたしちゃうから、どの山を登るか、は自分で決めてみたい。

一番こわいのは、目の前にでっかい山がでてきて、さらにたまたま上昇気流が生まれてのぼれちゃうことだ。そのときはめっちゃ興奮するんだろうと思う。こんな景色みたことないぞ、おれすごい場所にきちゃった、と。でも、それは一時的なものかもだし、知らず知らずに登ったその山には、未知なる能力をもったモンスターがうごめいているかもしれない。装備が追いつかないかもしれない。どれだけHPやMPがあろうと、対処できない特殊効果をくらったら、ひとたまりもない。転生せずに異世界にいっちゃったら大変だ。

さらにやっかいなのは、「そういうのもおもしろそうじゃん」と思う自分もいるということである。低空飛行がいいけど、山も登りたい、未知なるモンスターってどんな姿してるん?という好奇心。「こっちだよ」「いや、こっちだって」と二人の自分が口論する。

— ☕️ —

冒険は大好きだ。「未知なるものがある」という事実に興奮するタイプのおれは、冒険がしたい。でもメンタルは強くない。メンタルが弱いのに冒険なんてできるのか。できるはずだ。バックパッカー旅の出発前に、貯金やら予防接種やら衣服やらバッグやら、2年間準備した。心配性だから、十分すぎるほどの準備をして、冒険に出かけたいのだと思う。

だからおれは、自分の「冒険したい」という欲求にどう寄り添うかを考えるといいのかもしれない。予期せぬ自体をできるだけ予期して、不確実性も理解したうえで、「おれは十分に準備した。どうなったって後悔はない」という覚悟のようなもの。覚悟というとちょっと大袈裟かもしれないけど、自分にとっての「冒険パックツアー」をつくっていくのがいいんだろうなあ。

そのツアーには、他のメンバーだって加わることだろうと思う。今までは「個人プレータイプ」という認識を持っていたが、そこにパーティメンバーが加わり、将来のファインプレーを実現するための視点だって大切だ。

そもそも本当の意味で「ひとりでやっている」人なんてほとんどいないはずだ。道を歩く、コンビニで買い物をする、電車に乗る。酸素だって植物がつくったものだ。呼吸さえも、チームプレーである。

これはいったいどんなチームプレーだい?と液をリトマス紙にたらして、その色をみつめる作業をもうちょっと増やしてもいいのかもしれない。

※サムネはUnsplashより

yoshikazu eri

当サイトの運営人。大阪生まれ千葉育ちの87年生まれ。好奇心旺盛の飽き性。昔は国語が苦手だったが『海辺のカフカ』を2日間で読破した日から読書好きに。気づいたら2時間散歩している。

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