夜に書くのは久しぶりだ。現在、19時41分、ネトフリの料理番組を見ながら夕食を済まし、逃げ恥を見ながら皿洗いをして、そのまま歯磨きに突入して、家計簿をいじって、いまである。まだ、俺の指はリモコンの「暖房」ボタンには伸びていない。そろそろ届きそうである。
最近、Pythonの基礎を毎日15〜30分ほどやっている。だいたい、朝が多い。夜はエネルギーが消化に持っていかれて、頭脳作業はあまり冴えない。ということでやるべきことを終えて「なにすっかな」と思っていたところ、書くことにした。そうだそうだ、届いていた。
Re: 気力の自給自足
メッセンジャーでのやり取りをさかのぼっていたら、最初に書いた交換日記が4月5日であった。サムネをBlenderでつくっている。なつかしいったらありゃしない。もうあれから7ヶ月経つのか。
「あっという間だ」とか「それくらい続いたのか」という感情がない。これは、よい意味で言っている。そもそも「続けよう」という意識さえあまりなく、交換日記が届いたら、それを”いい言い訳”に書いているだけである。
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なにかよい例えはないのか、ちょっと考えてみる。ジョギングか。うーぬ。
5年間くらいフルマラソンとかトライアスロンのためにがんばっていた人がいたとして、ある日ぱたりとやめてしまった。もう1年ほど走っていない。そこで友人から「たまに一緒にジョギングでもしませんか」と言われているような感じだろうか。
「書く」といってもその方法や深さは、ほんとうにさまざまである。そんで、この交換日記は上記でいう状況のジョギングに似ている。「走りたい」という気持ちはある。でも、なんだか走る気になれない。ひとりでジョギングもしてみたが、あんまり続かない。一緒だったら気が楽だし、毎日坂も含めて10km走ってたんだから、数キロのジョギングなんてまったく負担にならない。
そんな感じでこの交換日記をやっているものだから、「続けたい」も「書いてやるぞ」という気持ちもない。繰り返すが、よい意味で言っている。自分なりに数年がんばって書いた時期があるから、「なに書いたっていい」というのは、マジで気が楽で、どちらかというと呼吸することに近いような「書く」である。それで、なんとなく”反応”する。これがなんとなくできるのは、いままで書いた経験も活きているようには思う。
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とここで終わりにしよう、というか終わったほうがいいような文量なのだが、最後にちょいと書き残しておく。ぜんぜん違う話題だ。でも、この日記を書きはじめるときに「これ書こう」と頭に浮かんでいたから、強引に書いちゃうのだ。自己満である。はい。
最近、映画とドラマを何本か観た。ネトフリの『ボディーズ』というドラマ、『キラー』という映画。あとはアマゾンで『ノック 終末の訪問者』を観た。一番印象に残っているのは『キラー』である。なんといっても音楽をトレント・レズナーが担当しているんだから、そりゃいいんだろうという感じである。
誰かがXで「音楽がやばい」というような話をしていて、みはじめたら「Trent Reznor」のクレジットである。「ああ」となった。あくまでおれの好みの問題ではあるが、彼の名前が音楽クレジットに含まれていれば、かなりの保証材料となる。活動の軸をナイン・インチ・ネイルズというロックバンドから映画音楽にシフトしたのは、まじですげえなあと何度も思う。トレント・レズナーは音の芸術家である。
世界的に有名は音楽プロデューサーDeadmau5ーーーといってもそこまで詳しくはないのだけどーーーが以前、動画でぽろっと言っていた言葉が印象的だった。「映画の音楽はつくってみたいね。ただ、トレントが席をゆずってくれない限りは無理だな」と。
そんなにすごいのか、すげえんだな、かもしだす音の雰囲気すごいもんなあ。たぶん、「トレントが音楽を担当するのではあれば出演しよう」なんて俳優が言い出すケースだってあるんじゃないだろうか。想像だけど。
そんなことを「書こう」と決めていたから、最後にペッと書かせてもらった。長くなってしもうた。
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