古書に惹かれて

最近、古書に惹かれている。古本屋はよく行っていたが、理由としては「お得に買えるから」が強かった。たまに、掘り出し物があるときはあるが。

ぼくは古本ではなく「古書」に惹かれている。そもそも、この2つ、何が違うのか。

ざっと調べてみた僕なりの理解は、「古本」はすでに誰かが買ったもの。「買った」と表現したのは、読んだかどうか、開封したかどうかは関係ないということである。例えば、ぼくが書店で新品の本を買って、そのまますぐに古本屋に持っていけば、それは「古本」となる。新品同様の古本。でも、新品の本ではない。ぼくがすでに買ったから。

一方で「古書」は、すでに出版社が販売を終了した絶版本で、いまでは新品の入手が難しいもの。あとおそらく、つい最近絶版となったものは古書に当てはまらない気がする。例えば昭和とか、ずいぶんと前に絶版になっている本が古書になる。

この辺の古書についての定義は、いろいろありそうである。絶版になった瞬間に古書と呼ぶパターンもあるのかもしれない。まぁ、そのあたりの話は置いておいて。


なんで古書が好きかって、まず第一に「古い」から。アンティーク品を眺める、集めるのに似ていると思う。古いけど、別に汚いとは思わない。しかも本だから、そこには何かしらの知識、体験、思考、物語が収まっている。

古書っていいなと思ったきっかけは、最近いった古本屋である。昭和時代の本も多くあり、数冊買って帰った。

左の3冊は僕が生まれる前に出版された昭和時代の岩波新書

それで、この新書を眺めていると表紙カバーがなかったり、著者プロフィールがなかったり、「定価280円」と書いてあったり、なんか新鮮だった。

ここから興味がわいてきて、頭の中で「古本」「昔の本」「神保町」「絶版」「昭和」「古書」と単語を巡らせていき、「いやぁ、古書っていいなぁ」という感情がわきあがってきた。


古書がそうでない本と比べて何が特別かというと、マーケティングから切り離されている点があると思う。どの本が売れてる?どれが話題?誰が書いてる?みたいなバイアスがなくなり、ある意味で世間からはぐれてしまった本のように僕には古書が映っている。

もちろん、古書にも価値があるもの、価値がないものとピンキリだとは思うが、僕はこの「世間の流れから切り離された」感のある古書の雰囲気が好きだ。

書かれている内容は、もうすでに古いかもしれない。今でも新鮮かもしれない。言葉が難しいかもしれない。そんなことを思いつつも、「この本、面白いのかな?」みたいな邪念が吹き飛び、本を本として眺めたり、ちょびっと読んだりして、持っているだけでもなんだかワクワク、懐かしいアイテムとして扱う。

たぶん、ぼくは世間の流れに疲れてるのもあると思う。今どんな本が売れていて、どんな本が話題で、どれが名作で、とか。なんかこう、本を買うときに「ミスりたくないな」という感情が見え隠れする感じ。

古書でも当たり外れはあるのだと思うけど、ぼくにとっては未知のフィールドだから、「どれが面白いんだ?」と探すよりも、「どれか買ってみよう」くらいのお土産品かもしれない。まぁ、高い古書もあるから、そういうのはなかなか買えないけど。

ただなんか、見た目がすごく古くて、背表紙も読めなくて、タイトルも中身も「面白いのかなぁ?」と感じるけど、数百円だったら「おし」と買っちゃうテンションが最近ある。


本って深いなぁと思う。書店が大好きで、数時間かけて隅から隅まで眺めるくらい、本屋にいくらでもいられるような自分だったけど、まだ「古書」という未知のエリアがあった。

あぁ、関東に戻ったら神保町にまた行きたい。ていうか、あそこに行ったら1週間は帰ってこなさそうである。冗談だけど。

yoshikazu eri

当サイトの運営人。大阪生まれ千葉育ちの87年生まれ。好奇心旺盛の飽き性。昔は国語が苦手だったが『海辺のカフカ』を2日間で読破した日から読書好きに。気づいたら2時間散歩している。

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