34歳になって、ふと「死ぬまでにあと何冊の本を読めるのだろう」と考えるようになった。
僕の読書量は月に5〜15冊くらいで、さらになんらかの理由(モチベ切れ、難しい、他の本への関心移行など)で読むのをやめてしまった積読本が常に20〜30冊ほどある。月に10冊以上読んでいるときは、ぱらぱらっと速読的に読んだ本が含まれるから、じっくり読んだ場合、月に2〜3冊が限界である。たぶん。
いまは「人生100年」とも言われるから、じゃあ100歳まで生きるとしよう。じっくり読む前提で毎月じゃあ3冊、年間で36冊読むことができる。残り66年の人生として、ぼくの生涯読書冊数は、残り約2300冊らしい。
こうして考えるとなかなかの量ではある。いま計算してみて「え、けっこう読めるじゃん」と思ってしまった。「もっと良書を読まないと」という緊迫感のある記事にしようと思ったが、あんまり緊迫感が生まれていない。まぁいいか。
とはいっても、読書をするのであれば、そこから教養を身につけて、人生に役立てたい。そもそも本が好きだから娯楽目的で読むこともあるが、意識としては「読書によって人生を豊かにしたい」が強い。そのために「良書」と言われるような本にたくさん出会いたい。
最近になってやっと「古典」と言われるような本にも興味がわいてきて、哲学図鑑を買ったり、『資本論』の入門本を買ったり、本腰を入れて歴史の勉強もしようと思ってきている。(特に近代の日本史に興味がある)
今までの僕の本の選び方は、トレンド重視のマーケティング本であったり、落ち込んだときに自己啓発本を読んだり、直感を頼りに「なんか面白そう」と買ってみたり、であった。がんばっているときは情報鮮度の影響が強いビジネス書を読み、うまくいっていないときは自己啓発とかエッセイを読み、この両者ではないニュートラルなときは感覚で選んできた。
ここ数ヶ月の間、週に10冊くらい本を買っている気がするのだが、この関心の中心となっているのが「資本主義を理解したい」というものだと思う。それで専門書を買ってみると難しくて途中で読むのをやめて、他の関連書籍に手を出し、さらには歴史や心理学とか、周辺分野を漁っている。中学生の数学ドリルもたまにやっている。
ここに「古書」という関心もくっついてきている。懐古的な魅力もあるのかもしれないけど、昭和時代の本を読むことで当時の歴史を感じてみたい、というのがあるのかもしれない。
こうしたシュンシュン動き回る読書をするなかで、そこには「現在の社会のルールを理解したい」という気持ちがあって、そうした流れで「そろそろ、読むべき本という本を読まないとな」と思うようになってきた。
それで佐藤優の読書術的な本を買ったり、松岡正剛の千夜千冊シリーズを買ってみたりしている。今までは自分だけの経験で本を選んできたけど、30歳半ばで「知の巨人」と言われているような人たちの知恵を借りたい、と思うようになった。無意識に「人生そろそろ短いから時間を大切にしろ」と考えているのかもしれない。
「資本主義を理解する」っていうのは、それはそれは難易度の高いことだと思うけど、この社会で生きている以上、ルールは理解したい。それを知ったからといって、じゃあどうする?という話もあるけど、まずは理解からはじめたい。その上で、少しずつ自分の社会での立ち位置というのを考えたい。
たぶん、死ぬときに「社会(人生)ってこんな感じだったよね」と自分なりのまとめを言えるようにしたいのかもしれない。そのためには経済学だけではなくて、その周辺分野(歴史、数学、古文、漢文、心理学など)も掘っていかないといけないから、ちょいとちょいとつまみ食いしながら、自分なりの全体像的な理解を深めていきたい。
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