腐敗、発酵、芸風

前回「最近は、自分のことを”永遠のベータ版”みたいに思うようにしている」と書いたけれど、白状すれば「最近は」というのは誤りだった。”永遠のベータ版”という言葉は、その場で頭にふっと浮かんで書いた言葉であった。

いや、正確には頭に浮かんで数秒間は経過してからの言語化であったから、この「数秒間」を”最近”と呼んでもいいのではないか。だって、”最も近い”じゃあないか。ということで「最近は」は誤りではなかったのかもしれない。解釈の幅よ。

特に自分のなかで「ひらめいた!」という感じではなかったのだけど、こうして交換日記をしていくなかで反応が返ってきて、改めて自分を文章を読んでみて、「たしかにわるくはないぞ」と印象が変わっていくのはおもしろい。

そういう意味では、おれも静的なテキストのやり取りは好きだなぁと思う。

Re: どの感情/行為に社会性を持たせるか

「楽なほうに流れていく」と「なんかやっちゃうこと」は割と混同されやすく、でもそれは重なっていて、ワンルームで一緒に住んでるみたいなものなのかもしれない。いや、「流れていく」とあるように、前者には「考えるより流れろ」というような無防備もしくは無抵抗の雰囲気があり、それにはたぶん賞味期限がある。もうおいしくないのに「流れる」を続けると腐敗するかもしれない。

一方で後者の「なんかやっちゃうこと」には、意志を感じる。それは「がんばるぞ」という精神論ではなく、「自分のいるべき空間」を探すような、無意識の自立性を感じる。無意識なんだから、がんばってはいない。でも、なにかを動かしていて、それが重なっていって、いつか発酵しそうな雰囲気がある。

腐敗と発酵は紙一重、ということだろうか。そんな絶妙な重なり合いを2つに感じる。

ここでふと、積読している『堕落論』が頭に浮かんだ。

— ☕️ —

そういえば、経営学者の楠木建さんが「自分の仕事というのは”芸風”で、これは一生をかけて練り上げていくもの」と言っていた。「芸風」という言葉に、今までにないくらいの親近感を抱いた。

なにをやってきたのか、なにをあきらめてきたのか、なにをやっているのか、なにをやりたいのか。そんな風に並べていくと「ポートフォリオ」とか「実績」とか「経歴」とかって言葉が浮かぶが、これだと、そこに並べられたリストがばらばらになりやすい気もする。「芸風」という言葉に置き換えることで、これらが有機的につながりはじめるような印象を受けた。

「なんかやっちゃうこと」を続けることで、芸風が現れ、すなわちそれは発酵で、おいしいぬか漬けができるのだろうか。なんか最後、強引にぬか漬けにターンを与えてしまった。

— ☕️ —

今日は近所の園芸店にいって、室内で育てられる植物を探しにいく。容器はガラス製で、根っこが観察できるやつがいい。さてさて、見つかるだろうか。

※サムネはUnsplashより

yoshikazu eri

当サイトの運営人。大阪生まれ千葉育ちの87年生まれ。好奇心旺盛の飽き性。昔は国語が苦手だったが『海辺のカフカ』を2日間で読破した日から読書好きに。気づいたら2時間散歩している。

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