区切るために書く

これを書き終わったら、家に帰り、夕食の買い物に出かける。現在15時半、17時には公開したい。となると、1時間半ほどで書かなくてはいけない。

限られた時間のなかでの出力となるため、書ける内容に限界はあるが、それでもここで一旦、区切りをつけておくために、自分のなかでのある意味での儀式として、書いておきたく、カフェのカウンターに座っている。

昨日、「ろびんトよし」というYoutubeチャンネルを終えるというお知らせ動画が公開された。「された」としているのは、公開作業をしたのは相方のろびんであるからである。2020年12月からおれは無期限活動休止となっており、それ以降はろびんが主体となってチャンネルは運営されてきた。

おれが個人名そのままの「Yoshikazu Eri」というYoutubeチャンネルをスタートさせたのが、いまから約7年前の2017年2月である。その1年後の2018年5月に親友のろびんが正式参加することになり、チャンネル名は「Yoshikazu Eri」から「ろびんトよし」に改名した。さらにその2年後、おれは無期限活動休止となり、ろびん主体の運営となる。さらにさらにその4年後の昨日、チャンネル名を変更すること、おれが事実上脱退することを視聴者に伝えた。チャンネル自体は存続されるが、「ろびんトよし」ではなくなりーーーいままでもろびん主体であったがーーー本当の意味でのろびんによるチャンネルがはじまる。リニューアルスタートである。

チャンネルの名称で振り返ってみると、「Yoshikazu Eri」として約1年、「ろびんトよし」として約6年となる。ただし、「ろびんトよし」期間については、ふたりでの運営期間が約2年、おれが無期限活動休止してからのろびん主体の期間が4年となる。そうか、ろびん主体での運営期間のほうが長いのか。

おれにとって、Youtuberとしての活動とは、「ろびんトよし」としての活動とはなんだったのか、なんてことをまじめに振り返ろうとすると、とても1時間半では書ききれそうもない。それでもちょいとばかし、振り返ってはみたい。

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Youtubeチャンネル1本でもともとやるつもりはなかった。元々ブログを運営していて「書いて」はいたから、スケボー系のメディアを運営したかったのだ。そのおまけとして、久しぶりに再開したスケボーの練習風景を動画でアップしていた感じだった。その反応がよく、チャンネルを開始して数ヶ月でメディアは閉鎖して、チャンネル1本でやっていくこととなった。

ある意味で誤算だった。コンテンツの形式として「動画」に興味があったくらいで、それで食っていこうなんて思っていなかった。ただ、タイミングもあったのか、たまたまうまくいったのだった。当時は芸能人も、プロスケーターもYoutubeに動画を公開していないような時代だった。「動画の時代がくる」みたいに言われていたくらいだったと思う。おれのアンテナがちょっと敏感だったから、周りの人よりもほんのちょっとだけ早かったくらいだったと思う。すでに動画をやっていた人はたくさんいた。

スケボーの練習動画を上げつつ、ブロガー/ライター時代に鍛えた構成力を活かしてハウツー動画を制作した。たしか、オーリーの動画がはじめてのヒット動画だったと思う。登録者数は100を越え、1000を越え、1万を越えたくらいで開設から1年は経過していたように思う。どんどん動画を再生されるようになり、好循環となり、焦るように、興奮するように、週に6本くらい動画をアップしたときもあった。

がんばりすぎたのか、おれは燃え尽きた。ある日、「なんでこれやってるんだろうおれ」という謎の思考が入り込んだ。そのとき、ちょうど「夢中とは」みたいなテーマの動画を公開していた。視聴者に「夢中」について語りながら、俺自身は燃え尽きていたのである。

この時点ですでに何度かろびんにはゲストとして動画に出演してもらっていた。燃え尽きながらもなんとかしがみつこうと意味不明なダンス動画を公開したこともあったが、ある日ろびんに「おれが参加するのはどう?」と提案された。「ろびん」と「よし」。全部ひらがなは読みづらいから「と」だけカタカナにするか。そんな感じのゆるいネーミングだったと思う。「ろびんトよし」のはじまりである。

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ビジネスよりも友情を優先する。これが「ろびんトよし」をはじめるときにふたりで決めたことだった。ビジネスを優先して友情がどうにかなるくらいだったら、友情をとる。そういう運営方針のようなものをふたりで決めてスタートした。

お互いが週に1本ずつ動画を企画、撮影、編集、公開する。ろびんとおれではつくる動画のスタイルが全然違うのがあり、それが視聴者にとっても楽しめたのか、コンビとなってから登録者は増えていった。たしか、おれが無期限活動休止することを発表したときの登録者数が6〜7万人あたりだったと記憶している。8万いってたかなあ。うろ覚えだ。

「ろびんトよし」の運営期間でとくに覚えているのは、拠点を数ヶ月間だけタイ・カンボジアに移したときだった。チャンネルのマンネリ化を解消すべく、いままでの「スケボーの専門チャンネル」から「スケボー旅チャンネル」に変えて、スケボーを主役から名脇役くらいにして、リーチを広げようという試みだった。

タイ・カンボジアでの活動は、「チャンネルを成長させる」という名目ではうまくはいかなかった。この間、ろびんと今までにないほどの険悪なムードにもなったりして、お互いが消耗したこともあった。もちろん、経験としてはおもしろかったし、この間動画も楽しく制作していた。いいご縁にも恵まれた。

うまくいっていないときは、お互い余裕がなくなる。普段の何気ない動作にイラっとする。そういうことが言われたりするが、タイ・カンボジア以降の福岡での活動期間も含めて、そういった状況も影響したのか、さらにはコロナの打撃もあったのか、おれは疲れ果ててしまい、無期限活動休止を決断した。「おれは」と書いたが、ろびんも消耗していただろうと思う。

そこから半年ほどおれは福岡で過ごし、関東に戻り、会社員を1年ほど経験して退職して、いまは週5で働きながら、収益源を増やすべく、平日の2時間と週末をつかって自分のビジネスを育てて半年ほどが経過した。

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だいぶ圧縮しているというか、省いてしまったが、ざっくり振り返ってみた。もっと時間があれば、さらに詳細に振り返れるだろうし、ろびんが振り返った場合、それもまた違った景色になるだろうと思う。振り返るのはこれくらいにしておこう。

チャンネルの振り返りは終わりにして、これからおれ個人の内的な振り返りをしていきたいのだけど、その前ここで、いままで「Yoshikazu Eri」「ろびんトよし」というYoutubeチャンネルを応援してくださった方々、動画にご協力いただいた方々に感謝を述べておきたい。ほんとうにありがとうございました。

動画にご協力してくれた人たちがいたからこそ、ふたりではつくれない動画を実現することができたし、動画を見つけてくれて、価値を感じ、視聴してくれて、コメントをしてくれて、チャンネル登録をしてくれて、友人や家族にチャンネルのことを話してくれたり、そういった方々がいたからこそ「ろびんトよし」は「ろびんトよし」になったのだと思います。感謝しています。

ぼくは正式に「ろびんトよし」から脱退して、チャンネル名は今後変わり、ろびんによるチャンネルがスタートします。「ろびんのチャンネルをよろしくお願いします」というのは正確ではないかもしれません。完全に運営から離れた身としては、僕自身、「これからどうなるのか楽しみにしています」がより心境に近いように思っています。

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さて、振り返りに戻っていきたい。おれ個人としては、Youtuberとしての活動が自分の人生にどう影響を与えたのか。これは、友情、コンテンツ制作、承認欲求の3つに絞ることができるだろうと思う。

まず、友情について。すでに書いたように、「ろびんトよし」をはじめるにあたって、「ビジネスよりも友情を優先する」という指針をふたりで決めてスタートした。振り返ってみると、これはなかなかややこしい。目標は「Youtubeで食っていくこと」だったのに最優先は「友情」である。Youtubeで食っていくには「ビジネス」を優先しなくてはいけないが、最優先は友情だから、言い換えると、友情が収益の抑制要素として働く可能性がある。そういう神技のようなことをやろうとしていたのか、と振り返って思う。

もちろん、友情を最優先にしながらビジネスを育て、食っていけるようになる(実際、一時的に食えていた)ことは可能ではあっただろうと思う。ただ、最終的にはおれが脱退することになったから、結論としては「できなかった」となる。

でも、「友情を最優先にしながら食っていく」はできなかったとして、「ビジネスよりも友情を優先する」という指針は全うできたことになる。視聴者やいままで関わってくれた人たちをびっくりさせてしまったことは申し訳ないと思っているが、そもそもの指針で運営してきた結果の到達地点としての、昨日公開の動画での内容である。

タイ・カンボジア滞在時は、いままで以上にろびんとの距離感が近くなり、近くなりすぎたせいもあったのか、いわゆるケンカのようなものを何度もした。そのときはお互いほんとうにつらいものであったけれど、振り返ると、よりろびんを理解することができたし、友情は深まったように思う。

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次に、コンテンツ制作の話。まあ、動画制作である。Youtubeをやる前はテキストでの発信はしていた。ブログだったり、メディアへの寄稿であったり、雑誌であったり、である。そこに「次は動画だ」とコンテンツ手段を変えて、おそらく200本ほどの動画を制作した。

これによってかなりのスキルが蓄積されたように思う。現時点では特に動画で発信する予定はないけど、もし「動画で発信したい」と思ったら、スムーズに「やるか」と思えるのである。動画はつくれるようになったんだから、つくるべきだと思ったらつくればいい。それくらいフットワークは軽くなった。

ひとつのスキル獲得である。

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そして、承認欲求の話。スケボーというある意味でニッチなーーーいまではオリンピックの種目となりだいぶ認知度は上がったがーーーチャンネルで数万人の登録者を獲得したのもあってか、だんだんと街中で声をかけられたり、サインを求められたりすることが増えてきた。

Youtubeをはじめた当初は「有名人になるって気分がいいんだろうな」と思っていた。いや、もちろんいわゆる”芸能人”が体験しているようなレベルの何万分の一くらいのレベルだとは思うが、それでもちょっとした有名人みたいな体験をした。

それを体験してみた結果としては、「おれはこれを心からは求めてないんだな」という気づきだった。たしか、自宅のすぐそばのカフェで声をかけられたときだっただろうか、「承認欲求よりもプライベートゾーンを大事にしたい」と思った。

とはいっても、声をかけられること自体はうれしいことではあるのだ。動画を見てくれたことには感謝である。たまに動画やポッドキャストなどでこの件について話しているときに「いやだ」みたいな雰囲気が意図せぬ感じででてしまっている感じはするのだが、「いやだ」というのは適切な表現ではないだろう。「びっくりする」というのが正確だろうと思う。

なんせ、街中で知り合いを見かけたとき、よっぽど仲がよくない限りは声をかけないタイプである。「急に声をかけられる」というのはびっくりするのだ。うれしいのだけど、びっくりするのだ。びっくりしちゃうから、そっけない態度をとったりしてしまうこともある。「うれしい」よりも「びっくり」がまさってしまうのである。

この経験を経て、「おれそこまで承認欲求は求めてないかもな」という気づきがあった。いままでは率先して顔と実名をだして活動してきた。それは「そうしたい」であった。それがいまは「必要であればやる」という感じに変わっている。自分の顔を出して発信するのは、必要であればやるば、必要でない場合はやらない、そういう感じに変わった。

まあでも、これは一時的な”ビビり”のようなもので、数年後には「やっぱり顔だしたい!」とか言ってる可能性はあるが、いまの心理状況としてはそんな感じである。

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という感じだろうか。Youtube活動を通じてご縁があった方々についても書くと、とんでもない文字数になってしまうから、あくまでおれ個人の心境、経験という文脈ではある。それでもすでにだいぶな文字数になってしまっており、そろそろ風呂敷をたたまなくてはいけない。

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なぜこれを書いているかというと、自分なりの儀式、区切りである。こうやって書いたほうが、なんとなく、自分としても「おわったんだなあ」という実感がわくのではないかと思って。チャンネル自体はこれからはろびんが形を変えて運営していくが、おれの役割は終わったわけである。なかなかのビッグな出来事である。とても大きな決断をしたのに、急遽話し合い、動画を翌日に公開して、なかなかのスピード展開であった。おそらく、頭が追いついていない。起こっている出来事についていくために、書いた。頭の中に存在する「ろびんトよし」という記憶に「。」をつける作業なのかもしれない。

自分の頭の中の「ろびんトよし」を「ろびんトよし。」に変え、区切りをつける。おれはおれなりにまた進み、ろびんもろびんなりに進んでいく。おれは走り終え、バトンはろびんに渡した。

さて、あと3分で17時になる。もう時間切れだ。これ以上は書けない。なんて大雑把な終わり方だろう。でも、とりあえずのおれなりの区切りの付け方である。この投稿を読み返す日が、今後またどこかで何度もなく来るのだろうと思っている。

yoshikazu eri

当サイトの運営人。大阪生まれ千葉育ちの87年生まれ。好奇心旺盛の飽き性。昔は国語が苦手だったが『海辺のカフカ』を2日間で読破した日から読書好きに。気づいたら2時間散歩している。

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