当日に返事がきて、それを当日に返すというのは、初めてじゃないのか。1日に2回も玉入れに玉を投げ入れるという、まさかの日である。
Re: 「死」を習慣で乗り越える
忙しくすることでなにかを乗り越えるというのは、あるのだろうなと思う。おれの場合、30代前半にものすごい落ちた時期があり、そのときは中途半端に時間を持て余してもいて、そのせいもあってどんどん落ちたのがあった。ただ、ほんと毎日(のちにYoutubeの相方になる)親友のろびんに電話していて、そのおかげもあって乗り越えられたのだと感じている。ろびん本人は、ぐわんぐわん揺れる俺の感情の電話をおもしろがっていてくれていたらしいが、それがあってこそ生き延びた可能性もあり、これこそ利他的行動ではないかとも思うし、なにより、とても感謝している。
この1ヶ月の間、人生で初めて起こった感情がふいに「死のうかな」と思ってしまったことにある。ほんと1度だけなんだけど、心にその言葉がなぞられた瞬間に「いやいや」と突っ込む冷静さはちゃんとあって、「猫たちおるしな」という気持ちがあることを確認できた。
これで思い出したのが、(おそらく)『ストレンジャー・シングス』で売れた俳優デヴィッド・ハーバーの話である。ポッドキャスト『Off Camera』で彼をゲストに読んだ回を聴いていたとき、同じような話をしていた。「おれが死んだら、この猫たちは誰が世話をするのか」という思考がよぎり、ふみとどまったらしい。
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さて、今日は朝6時半から3時間ほどカフェで過ごしてから、書店にいってきた。行かない選択肢もあったのだが、ここ数日は雨が続き、今日は天気がよく過ごしやすそうだったから「せっかくだし行っとくか」という謎の言い訳が浮上し、また今週も本屋へ足を運んだのだった。
ということで、せっかくだし(?)、書店内をめぐったときの思考でも書いていこうかと思う。これを交換日記でやってしまうのがミソだ。やるんだったら別で記事にすればいいところを「交換日記」に入れ込んでしまうのである。別記事にすると、力んでしまいそうだからである。
ちなみに、今日は新刊書店では本を買わず、帰りにブックオフで2冊買っただけである。これはあくまでおれ個人で完結している感情であるが、本を中古で買うと「おれ、大人気ない」と思ってしまうのである。それは、買ったらすぐに値段シールを剥がす作業にも現れている。
他者が本を中古で買おうと、なんにも思わない。お得でいいですよね、宝探しみたいですよね、みたいにぜんぜんポジティブにとらえたりするが、それがいざ自分となると「ぐぬぬ…ゆるせ」と大人気ないように思ってしまうようである。
ということで、「おとなげ」を身につけるために、新品で気兼ねなく本を買えるようになるために、おれは仕事をして、収入を増やしていきたい。
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書店にいってまず足を向けたのは、新刊の文庫コーナーである。『寂しい生活』が文庫化しているではないか。ぱらぱらとめくる。おー、気になる。「そもそも便利、豊かとは」みたいな感じのエッセイだろうか。これは候補だ。
『摘録 断腸亭日乗』もある。これは内田樹さんがおすすめしていた本だ。気になるのだけど、文体が古くて、読むのが大変そうで、なかなか買う気になれない。でも、書かれている内容自体はすごく気になるんだよなあ。『百年の孤独』の3刷が並んでいた。
新刊の新書コーナーで手に取ってみるのは『「ふつうの暮らし」を美学する 家から考える』だ。これは発売してからずっと気になっている。好意的なレビューも読んだ。ぱらぱらとめくる。たしかに読んでみたい。だが、「買う」まで感情がいかない。でも、候補である。『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はまだまだ売れているようである。
新書コーナーの奥に進み、ハヤカワ新書コーナーで『人間はどこまで家畜か』を探す。あったが、電子書籍とのセット本のみでちょっと高い。うーん、電子書籍はいらないんだよなあ。
次は文庫コーナーである。河出文庫コーナーで短編集『ハイファに戻って/太陽の男たち』を探す。著者はパレスチナ人で、暗殺されてしまったそうである。これは読みたいが、需要がないのか。なかった。
すぐそばの光文社の文庫コーナーで『地下室の手記』を探す。あった。手に取ってみると、カバーがだぼだぼで、本来Sサイズでぴったりな人がMサイズの服を着ているみたいになっている。こんなことってあるんだな。スレッズで『野の医者は笑う』の東畑開人さんが「全ての文章が名言という奇跡」と絶賛していたのだ。読みたい。が、なんとKindle Unlimitedにあるではないか。最近『バレエ星』という漫画を読むために入っていたのだった。それでも「紙でほしい」が本音であるが、ここは堪えてアンリミテッドに頼ることにする。
ちくま文庫コーナーをざらっと眺め、『読書からはじまる』が気になる。長田弘の本は、家に『世界はうつくしいと』がある。とてもいい詩集だった。その著者が「本」について何を語るのか、気になる。欲しいものリストに追加する。
ハヤカワ文庫コーナーで、気になっていた本『ヴィクトリア朝時代のインターネット』を手に取る。テクノロジーの種類が変わっていっても人類は同じことを繰り返しているのだ、みたいな感じで読んでみたいのである。250ページちょっとの薄めの本だけど、税抜きで1000円する。他の本より高い。『生産性が高い人の8つの原則』は倍近いページ数があるのに200円ほどしか変わらない。専門性が高いのか。うぬぬ。だが、気になる。
そしてここでリチャード・ドーキンスの『神のいない世界の歩き方』という本の存在を知る。ドーキンスが無神論者ということは『創造論者vs.無神論者 宗教と科学の百年戦争』という本を読んで知ったのだけど、こんな本も書いていたのか。ぱらぱらとめくってみると面白そうだが、こういう分野の本はまずは全般の基礎を固めてから読まないと劇薬になりかねない。頭の片隅にだけ入れておく。
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そして単行本コーナーへ。『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』を手に取る。これは面白そうなんだよなあ。同じ著者の『言語の本質』は読んだのだけど、これも気になる。コミュニケーション能力が平均より下という自覚があり、こういう本はいくら読んでもいいと思っているのである。だが、単行本は文庫より高い。
次は自己啓発コーナーあたりで『欲望の見つけ方 お金・恋愛・キャリア』を手に取る。これはマーケティング的に読んでみたいのであるが、こういうタイプの本は買う順番として後回しになりがちなのである。そして2600円ほどする高い本である。読むのは今ではないかもしれない、この本は。棚に戻す。
その後、雑誌やビジネス書コーナーをざらーっと眺め、人文コーナーへ。いつも立ち寄るエリアである。おれの書店での経路をヒートマップ的に可視化したら、人文コーナーが真っ赤になっているに違いない。とはいっても、今回は人文というよりは、その近くにあった宗教と文化人類学コーナーで足を止めることになった。
宗教コーナーで『信じない人のための〈宗教〉講義 新装版』を手に取る。みすず書房っぽくないタイトルである。初心者向けのような。でも、みすずから出ている。おもしろい。ぱらぱらめくると、文体は読みやすく、目次を読んでもおもしろそうだ。だがこの本、高い。3500円だ。新装版ということで「復刊」らしいのだが、旧版と目次の構成が一緒のようで、新装版でなにが変わったのかよくわからない。ただ単純に「復刊しました」なのだろうか。だとすると旧版は税抜2500円、新装版は税抜3200円だから、700円の値上げである。「本が高くなっている」とたまに聞くが、このことか。
次に文化人類学のコーナーでティム・インゴルドの『人類学とは何か』を手に取る。専門書に該当するであろうが、ソフトカバーで分厚くなく、2000円ほど。わりと良心的である。「他者とともに学ぶ」とはどういうことか、これは大事な視点だからやはり読みたい。だが今月は本に使う予定の金額はあと3千円くらいである。単行本を1冊新品で買うと、ほぼ終わる。だがこの本が一番気になる。「そういえば」と積読している『他者といる技法』を思い出す。とりあえずこっちをまず読むか、とこらえる。
その後、近くの別の中型書店にもいってみる。ここはやけに河出文庫の品揃えがいいのだ。「もしかしたら」と『ハイファに戻って/太陽の男たち』を探してみると、ない、ここにもない。まじか。これはもう通販しかないか。
ちくま文庫コーナーを眺めていたら『百年と一日』という本が気になる。なんだかすごそうなエッセイである。あとこれは小説だけど『この世にたやすい仕事はない』も気になった。
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という感じで、最終的には1冊も本を新刊書店では買わなかった。ただ付け加えると、実はぜんぶ買いたいのだ。『断腸亭日乗』は上下巻あるから、それもカウントすると、気になった本をぜんぶ買うと1万7千円かかるらしい。毎週書店にいくとして、月4回だ。毎月約7万円分の本を買うことになる。ただ、今月は5千円以内に抑えたいから、この結果である。
まあでも、本を買うのをこらえるのはそこまで苦痛ではなく、むしろそれによって本当に求めているものが見えたりして、思考のダイエットみたいにもなったりする。あと、本に限った話ではないが、極度のレベルでなければ、節約はわりと楽しめるタイプである。「経済」と「暮らし」のバランスをとるゲームみたいな感覚さえある。
p.s. 山田五郎のYouTubeは、バウハウスに関心があったときにカンディンスキーの回の動画を寝る前に見ながら寝落ちしたことがある。マグリッドの回、前編だけ観てみた。おもしろいねえ。青リンゴのあの絵は見たことある。自宅にある『いとをかしき20世紀美術』『生き延びるために芸術は必要か』を再読したくなった。そういえば、こういう「絵画」「センス」的な視点は、最近『センスの哲学』を読んでちょいと花開いた感じがある。
なんだか最近の興味関心をひもといていくと、「既知から未知を」だなと思う。わかりやすい未知ではなく、「知ってる」「こういうことか」と一旦理解しているものをまた分解したり、レンズを変えたり、新しいレンズを得ようとしてみたりして、その場にある自分の「日常」は特に変わらないけど、それを認識する自分をアップデートしたいのかもしれない。いままでは、例えると、お店の「新商品!」コーナーばかりに目がいっていたんだろうと思う。
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