氷山の一角

そこに見えている以上に、実は見えない情報がある。しかも、そっちのほうが情報量が多くて、そこが土台になっている。そんなことを氷山の一角と表現するんだっけ。

8時前に布団から抜け出て、公園へ。今日は天気がいい。家へ戻る途中、「今日はなにを書こうか」と考えながら、家に着いて届いていた記事を読む。

Re: Everyday、ギャンブル

癖なのかパーマリンクに目がいき、「そういえば、ギャンブルってgambleってスペリングだったっけ」とふと思う。博打、リスクみたいなニュアンスをあまり感じない綴りだ。ghamble、gyanboh、gambol、他にあり得たスペリングを想像してみたりする。

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さて、ふと「氷山の一角」という言葉が浮かんだわけだが、これはたぶん、いろんなことに投影できる表現かもしれない。

外部の情報であれば「一夜で成功したように見えるが、そこには長い下積みがあったのだ」とか「現在のAIの性能は、まだまだ序の口。これから本格的にはじまるぞ」とか。

自然界でいえば、目の前の森で起こっていることは一部で、それを支えているのは地中の微生物である、とか。

それで、自分だって、そうである。

いまここでこうして僕が文章を書こうと再び思っていること、その決断は1つの行為のように見えるけど、そこに至るまでの人生経験というものがあり、複雑な情報処理や感情処理をふまえて、ひょこっと飛び出した「また文章書こう」という一角であったり。

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なんだろう、氷山の一角という表現は「その下の情報もしっかり見るんだぞ」という教訓のようなものとして存在している気がするけど、これを自分という存在に投影したとき、その下にある土台のようなものを安心材料としてもとらえられる気がしている。

いきあたりばったりにやっているようで、それは氷山の一角で、そこには見えていない大事な情報があって、それがベースになっているから、ある意味で当然の流れなんだよ、とか。

感情的に選択しているように見えて、そこには実はシステマチックで合理的な情報ベースがあるんだよ、とか。

氷山の一角という表現には、「わかった気になっちゃいかんぞ」「もっと見るんだぞ」という教訓ニュアンスがありつつも、「大丈夫、そんなシンプルじゃないから、意外と筋通ってるよ」みたいな安心ニュアンスだって感じ取れるんじゃないか。

— ☕️ —

と手を動かしながら、考えながら、いつものように書いている。なんたる散文ではあるけど、いまは書くことが優先。まぁでも、良きタイミングで整った文章というのを書きはじめてもいいのかもしれない。

手で書いて紙で渡すから「手紙」だとしたら、これは手で打って電気信号で渡すから「手電」なんだろうか。「てでん!」なんかかわいいじゃないか。「交換手電」どこかの中華街にネオン看板として設置したい。

※サムネはBlenderにて制作。タイトルは「gagaga」

yoshikazu eri

当サイトの運営人。大阪生まれ千葉育ちの87年生まれ。好奇心旺盛の飽き性。昔は国語が苦手だったが『海辺のカフカ』を2日間で読破した日から読書好きに。気づいたら2時間散歩している。

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