さむい、さむい。とつぜん冬がやってきた。朝の公園では、ヒートテックに長袖をまとい、ジャケットをはおり、ニット帽をかぶる。自転車で通勤するときも手袋が必要になってきたな。いまも部屋でニット帽をかぶりながら書いている。「暖房」が近づいている。もうそこにいるのかもしれない。
Re: 化かしたいし、化かされたい。
だれかや社会の動きに驚かされるくらいなら、自分がへんげして驚かせるほうに回ったほうがいい。お化け屋敷のキャストになる気分で。何に化けたろ。
振り返るとおれの場合、「社会の動き」になんとか乗っかってきた感じがある。ブログだったり動画だったり。「社会の動きに驚かされつつ」、ちょいと過敏になることで、大衆が驚かされる前に驚いてみることで、変化(へんげ)側にいたのかもしれない。「へんか」を察知して、世間が「へんか」する前に自分が「へんげ」していた。そういう感じだったから、収穫がともない、周囲が「おどろいた」のかもしれない。
そうやって考えてみると、特にテクノロジー分野においてはそろそろ自分が「驚かされる」側に回りそうな感じさえする。ちょっと早い、早すぎる。最近、ポチッとChatGPT Plusに課金したのだけど、そのあたりの変化は早すぎて、ネットでは四天王(のように見える存在)がはこびり、そこで自分が「化ける」側にいくハードルが上がっている気がする。
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とまあ、ちょいとネガティブなことを書いちゃうと、こんな感じである。でもこれはあくまでひとつの側面であり、ただ単に翻弄されているだけのような気もしている。
時代が変化していって、そこについていこうとすると、そこで「これでなにができるのか」と思うわけだが、ついみんな(もしくは、誰か)が求めそうなものを作ろうとしてしまう。「需要」「供給」という2つの言葉が、ここでは呪いのようにつきまとう。
でも考えてみると、その「需要」と「供給」ってやつは、自分(もしくは親しい人との繋がり)の生活、暮らしにすでにあるのだ。自分がほしいもの、あったらいいのもの、もっと便利に快適にできたらと夢みるもの。そういうものに矛先を向けてテクノロジーを使ったほうが、テンションが上がるのではないか。
みんな、か、自分、か。いまこの「どちらか」という話をしているような書き方になっているが、そうではなく、どっちに寄せるか、という話なのだろう。どっちか、なんて極端な話ではなく、2つの間の交流網のどの地点をただようのか。そういう意味で「需要」「供給」は「みんな」に寄っていきそうだし、そこから離れると「自分」に寄りそうな気もする。
頭でつい「どっちかなあ」と考えてしまうが、実際はそう単純ではなく「どっち寄りか」なのかもしれない。でもそういう”わかりにくい”コンテンツはネット上ではウケないから、ネットばかり見ていると「どっちだ」脳に侵されてしまう。思考も行動も、いまいちど自分の生活、暮らしに寄せていきたいところである。
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