「実はできること」を本人が自覚していない場合があるというの、そうだよなあ。「ハチナナハチハチ」で書きはじめたときーーーおれにとっての初めての「書いて届ける」体験のスタートだったーーー日々ネタを考えているときに意識しはじめていた「自分の当たり前は他人の当たり前ではない」という言葉が浮かんだ。
Re: 「ちなみにできること」を起こす
言語化っていうのはおもしろい。つい最近も、新R25の『思春期ビジパ学園』の動画を見ていたら、「上に登るより、下に落ちる。坂道を探す」という話があった。成功している人たちってがんばって坂を登ってるんじゃなくて、実は坂を下ってるんじゃないか、という文脈で「下に落ちる」という言葉を使っていた。
世の成功者の本とかストーリーというのは結果論であったりして、他の人にとってあまり汎用性がなかったりする、というのは思ったことがある。それを新R25の動画では「下に落ちていった人たちの方法論をだして『上がろう』とやるのが自己啓発とか熱狂」というふうに説明していて、言語化すげえと思った。
仮に、坂を下った結果うまくいったものが「上がろう」とパッケージングされているのなら、そもそもの話、その方法論をそのまま実践したら、うまくいくはずがない。
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冒頭の話に戻るが、おれが「実はこれもできます」と話しているなら、それはあくまで自覚できているものの一部で、ほかにもあるのだろう。10月から働きはじめるのだけど、そこでは「実はできること」を活かす予定である。これができるのも、そもそもの「実はできること」を自覚できているからである。
というか、「実はできること」を自覚したとき、それを脳内で別の言葉に変換しておくのもありだなと思ったりした。得意なこと、できるし苦じゃないこと、できちゃうこと、とかって浮かんだが、今のところしっくりくるのは「できちゃうこと」である。「実はできること」を自覚することで、それが「できる」「苦じゃない」という意味での「できちゃうこと」という言葉に変わる。これはそのまま”省エネ”という意味でもあるのだろう。
「ありがとう」の距離感で「実はできること」と「貨幣報酬」をリンクしないほうがいい、ということを書きながらも、その「実はできること=できちゃうこと」で10月から貨幣報酬を得ようとしている自分がいる。言葉と行動が矛盾してるじゃんか。
日々の暮らしや仕事をしていくなかで自覚できた「実はできること」が増えていき、それが「できちゃうこと」に変換され、それをマーケットで交換できる状態になり、その交換先でさらに「実はできること」を自覚していき… とどんどん「実はできることの自覚↔︎できちゃうことの交換」のサイクルがまわっていくのかもしれない。
そういうことを書きたかったのかもしれないし、いま書きながら気づいたということかもしれない。いずれにしても、まだまだ言語化の必要があるなあ。
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ちなみに、「実はできること」か「ちなみにできること」かという表現においては、おれも「ちなみに」が好みのような気がしてきた。後者のほうが空気をゆらさない気がする。「実は」はちょっとシリアスゾーンに突入しそうだけど、「ちなみに」はその場の空気を包み込みながら色を足すような表現だろうか。
まあ、両者を「空気をゆらすかどうか」で選ぶのもどうかとは思うけど、なんとなく、の印象である。
※サムネはUnsplashより
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