出会いの場としての書店

早朝3時過ぎに目が覚め、スマホをながめ、二度寝する。6時に起床するが、ねむい。いっそのこと、3時過ぎにそのまま起きたほうがすっきりしたのだろうか。一昨日から2日続けての雨だったが、今日はやんでいる。

1週間ぶりの交換日記、これくらい間隔があいたのは久しぶりだろうか。『アルジャーノンに花束を』を読み終わり、夜にヨーグルトを食べるのはどうも忘れてしまい、神保町の古本まつりで本を6冊ほど書い、歯医者で抜歯をして晴れて親知らず卒業をして、個人プロジェクトではやっとお小遣い程度の収入が入ってきそうだ。

Re: おもしろい音痴

おれは体は丈夫だから「健康」ではあるとは思うけど、果たして「元気」なのだろうか。

つね日ごろ「おれは元気ではないけど健康ではある」と思ってるし、都度都度まわりにも吐くようにしている。だけど、リアクションを観察すればするほどに、そういう感覚って共有できないもんかなぁと項垂れることが多い。

「元気」と聞くと、「エネルギーあふれている」という意味を浮かべてしまうのだけど、考えてみると「元々の気」ということである。その人が本来もっている気がちゃんとある、ということなのかもしれない。「そのひとらしくある」というのは、十分に「元気である」と言えるような気がしてきた。

たまに久しぶりに友人に「元気ー?」と言われたとき、だいたい「うん、元気にやってるよ〜」と返すから、まあ、そういうことかもしれない。

「元気」は、元々は「減気(げんき)」と書いていたようです。
その頃の「減気」の意味は、「病んでいる気」=「悪い気」を減らすこと。
であり、それがやがて、「元気」に変わっていったそうです。

神科小学校のホームページより

ふむ、なおさら「そのひとらしくある」が外れてもいない気がしてきた。となると、いまのおれは元気ってことになるだろう。とくに病んではいないから。

— ☕️ —

最近「なんで本屋に行きたくなるのか」とふと考えていたら、「本屋は出会いの場だからだ」と思い当たった。

考える教室』でつまんだ、デカルトのいう「世界という書物」なんだろうな。この感性は。生きてしまっている間は、ずっと実験、ずっとフィールドワーク、うろうろしながら楽しんでいたい。

バックパッカーとして旅をして以来、目的地ありきよりも、行く場所を決めずにぶらぶらするのが好きである。「知りたいこと」を知るよりも、「知らないこと」を知りたい。その距離というのは様々だけど、その振り幅が大きそうなのが「目的地を決めない移動」だと思ったりしている。

もちろん、「とりあえずここに行こう」というアンカーポイントのようなものは必要である。とりあえずあの駅に行ってみる、とか。

ショッピングモールにいったら、まず書店に行ったりする。「書店に行く」ということで「行く場所」は決めてはいるが、そこでは「世界」が凝縮されているので、世界旅行に等しいくらいの出会いの場が広がっていることになる。気になってた本を探しちゃったりして「知りたいこと」に向いてしまうこともあるけど、それでもその本の周囲には「知らないこと」が広がっている。

たぶん、書店はおれにとっての手軽な「出会いの場」なのだろう。そこで出会い、その場で買った本(世界)は、家に持ち帰っていつでも体験できる。すぐに読んでもいいし、放置してもいいし、読まずに触るだけでもいい。こういう感覚はKindleでは味わえないのよね。

地方は別なのかもしれないけど、書店はいろいろなところにあったりする。書店を見つけたときに「おお!書店がある!すげー!」とはあまりならない。「お、書店だ」という感じで、ミニストップを見つけたくらいの感じだろうか。でもそこに自分が吸い寄せられてしまうのは、予期せぬ出会いを求めているからだろう。おれを驚かせてくれ、と。

p.s. 『アルジャーノンに花束を』を読んで、東野圭吾や森博嗣の小説とはぜんぜん違う読み方をしたほうがいいのだな、と痛感した。SF小説だから、設定が大事というのもあり、会話文よりも"地の文"が多い。文章がページにつまっている。一気に読み進めるよりも、言葉を丁寧にひろいながら、頭の中で世界観をイメージしながらひたっていく。同じ小説でも、ジャンルによってぜんぜん違うな、と感じた。

『僕がコントや演劇のために考えていること』はおれもKindleで昔に買っていて、読了率40%あたりで止まっていた。最近、休憩中にちょくちょく読んでいる。コントや演劇に限らず活用できそうな考え方がつまっていて、とてもいい。

夕食視聴タイムでは、『PSYCHO-PASS サイコパス』をシーズン2まで観終わり、シーズン3を観はじめたところだったのだけど、時系列的にその間に映画が入るらしく、「ちょっと大変だ」と思い、間に『葬送のフリーレン』をはさみこみつつ、数日前から『三体』をみはじめた。あ、『不適切にもほどがある!』の最新話がまだ観れていない。

yoshikazu eri

当サイトの運営人。大阪生まれ千葉育ちの87年生まれ。好奇心旺盛の飽き性。昔は国語が苦手だったが『海辺のカフカ』を2日間で読破した日から読書好きに。気づいたら2時間散歩している。

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