考え中のプロジェクトを前に進めるために、久しぶりにちょっと内省をした。といっても、前に(なぜか)つくっていた内省のテンプレみたいなものに当てはめて、朝の30分ほどやっただけではある。
とはいいつつも、ちょっとした発見があった。そこにはできること、得意なこと、やりたくないこと、関心、価値観などのトピックでずらっと書いてみた言葉が並んでいるのであるが、「得意なこと」には3つを書いた。
・情報整理
・単調作業
・細かい作業
特にやりたい!とかではないが、なんかできちゃう、やってしまうこととして、この3つを書いた。そこでふと思ったのが「おれはいろいろと整えたいのかもしれない」ということであった。
部屋になにがどこに置いてあるのかなんとなく位置をだいたい把握して(決まって)いたり、朝の散歩だったり決まった時間に起きたりのルーティンであったり、ちょっとしたリサーチで細かいことをちまちまと調べたり。自分が心地よいと感じる環境を”整えたい”のかもしれない。
だれだって自分の暮らしを、心地いいように整えたいだろう。みんな、その欲求はもっているだろうし、やっている人だってたくさんいると思う。おれの場合は、それを「情報整理」「単調作業」「細かい作業」という行為を通じて行なってきたのかもしれない。
— 🌙 —
ようそんな細かいことするねえ。ようそんな毎日決まったことするねえ。つまらなくないのかい。ようそんなつまらない作業をずっとできるねえ。わたしだったら頭おかしくなっちゃう。
ふと脳内の誰かさんがつぶやく。
ちがうのだ。やっちゃうのだ。気づいたらやっている。ものを置く場所を決めちゃう。朝の公園をずっとやっちゃう。情報を集めはじめると、なんか整理したくなっちゃう。
言い換えると、違和感を察知すると、それを整えたいのだろう。
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動画の編集だってそうだった。動画を制作するときは、基本的には「違和感を探して、それを取り除く」という感じでやっていた。10を100にするとかではないのだ。編集をスタートした時点ではマイナス100のものを0に近づけようと懸命にやっていた。
もちろん、この動画を視聴者が、出演者がみたらどう感じるだろう?というのもあったのだが、そこだってマイナスをゼロに近づける作業であった。マイナスはいかん、なんとかゼロにするのだ。いや、1にしたかったのかもしれない。マイナスのものを1にする。マイナスをプラスにする。違和感をできるだけとりのぞいて1にする。
これだって「整える」ではなかったのか。まあ、「めっちゃいいのできたー!」と自己満足して自分でつくった動画を何度も見たこともあるけど、それは自分の範囲内での50だったり80であった。他者に向けるときはマイナスを1にすれば十分、という感じだった。
制作作業としてマイナスを1にして、そのあとの振り幅はコントロール不能エリアである。誰かにとっては50かもしれないし、80かもしれないし、もしかしたらマイナス50なんてこともありうる。とりあえず、編集側としてはなんとか1をつくるのだ。
まあ大変であったりもしたが、編集という作業はおれには向いているのだな、ともいま思った。楽しかったし。いろいろ、ついやっちゃってた気がする。整えちゃってたなあ。
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編集の話がながくなってしまった。もうねむい。なんだって夜に書いてんだ。ハイボールだって飲んでいる。エアコンがついている。お腹がいっぱいである。
とりあえず仮で「違和感を取り除き、整えたい」という欲求がおれにはあるとしておく。これ、「デザイン」という言葉にも言い換えられそうな気もするけど、ちょいとニュアンスが違う。「デザインする」はなんかすごいことしそうだ。「整える」は暮らしてそうだ。ちょいどいい。こっちがいい。サウナはあまりいかないが、おれは整えたいのである。
「かっこいいデザインをつくりたい!」
こりゃ、熱い。暑苦しい。すぐにガソリンが切れそうだ。
「違和感をとりのぞき、整えたい。」
いいね、いい温度感だ。仲良くやれそうだ。
まだ荒削りというか、ここからさらに深掘りするかもわからないが、とりあえず、記録のために作成した内省的なやつを貼り付けておく。作業30分クオリティなもんで、ツッコミはうけつけていない。
そもそも書く項目自体ももうちょっと調整したほうがいい気がしてきた。
夜の、なぞに暑そうな、いやそうでもなさそうな雑文であった。
追記 2023/11/28 20:37 「違和感をなでて、整える。」この表現のほうがしっくりくる。違和感を"取り除く"ってじゃまなものを消し去るみたいだ。違和感はひとそれぞれ違う。おれが感じる違和感を、おれなりになでて、整えて、心地よい感じにしていく。
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