最近、竹田ダニエルさんの著書を続けて読んだ。『#Z世代的価値観』と『世界と私のAtoZ』である。出版の順番でいうと、さかのぼった感じだ。現在、種をうえようと動きはじめている、でもまだ徐行運転中、いや車にさえ乗っていない「どの車に乗ろうか」という段階のプロジェクトのためのちょっとしたリサーチ目的であった。
本はとても面白く読めた。別で積読しているZ世代のマーケティング本よりはこっちを先に読んでおいてよかったと思った。「Z世代」というキーワードがなければたどり着かなかった本だが、「Z世代」というくくりであんまり考えるべきではない、生まれた年代で区切るべきではない話であることがよくわかった。だからタイトルもZ世代”的価値観”となっている。「ほう!」という発見が多かったが、「そうよね」という共感を感じながら読んだ箇所もけっこうあった。
— ☕️ —
ちょっと強引につなげてみると、地球環境への配慮であったり、アクティビズムの話は、おれの食への関心にも通じるのではないかと思ったり。
自分の身体を環境ととらえてみると、どうやったって、死ぬまでつきあっていくものなんだから、ケアしないといけない。だが、味覚という観点では食に強い関心はない。だいたい「おいしい」んだから。そうなると、食を選ぶときに「おいしいかどうか」がクリアされる確率は高いわけで、残る条件は「健康にいいかどうか」である。(あくまで、自分だけの食を考えればいい一人暮らしの状況下の話ではあるが)
Z世代的価値観の話ででてきた地球環境配慮の話だって、この”環境”は死ぬまで付き合うものなんだから、それが健康じゃないと困る。でも自分だけのものではない。過去の蓄積でのダメージもあったりして、地球は「自分の体」というより「みんなの体」である。いや、人間だけのものでもない。全生き物のためのものである。
だから、それに対して特別関心がもともと高いわけではないが、未来を考えると自分の人生の居心地を多大に左右するものであるからーーー次の世代にも影響するーーー関心を持たざるおえない状況なのかもしれない。そこの沸点をこえたのだろう。結果として「関心が強い」という言葉につつまれていくのだろう。おれの食への関心の温度感も、ちょっと似ているのではないか、と思ったりした。
書きはじめながらふと思ったことだから、けっこう強引に書いちゃったが、なんかそういうことを思ったりした。本の内容を自分ごと化したく、はきだした思考断片としておこう。
Re: 絞られた表現がうつくしい
現在地を確かめつつ、後ろを振り返って見えた自分はちゃんと置き去りにしてこう。
振り返って見えた自分を置き去りにしていく。いい言葉だなあ。ちょうど昨日Xで「過去の自分がなんとバカだったのか、と思えないとやばい」という言葉が流れてきていた。この言葉とふいに重なったが、「置き去り」という表現のほうがやさしくて好きだ。
過去の自分のことを「バカ」と認識するには、現在と過去の自分を分離しないといけない。じゃないと、自分で自分をバカにしてるみたいになって、おれの場合は自己肯定感に影響しそうである。ここはちょっと個人的に難易度が高そうだから、「置き去りにする」のほうが仲良くできそうな表現である。置き去りにするが、それも自分であって、その自分があってこその現在地なんだから、愛情はそのままもっておいて、もう振り返らないことを決意する。そういうバランスなのだろうか。
— ☕️ —
内省的なことをするとき、よくHARMの法則を考えたりする。悩みを、健康(Health)、熱意(Ambition)、Relationship(人間関係)、Money(お金)の4種類にわけて、どれがいま影響しているのか、とかって考えてみる。
最近の生活にはなんの不満もない。それでも未来への不安はあるから、お金への対処は常にしておきたいと、夏休みの宿題を初日にやっちゃうくらいの先手打ちで考えたりはする。ただ、ここは天井が吹き抜けている世界だから、ある程度で十分ではある。
生活がある程度満たされているときに、この4つで存在感をだしてくるのが熱意(Ambition)である。なんかやりたい、やったりたい、やったるねん、じゃあなにやるねん。そうやって本を読んだりして、なにかやろうとする。
これがMoney(お金)と大きくからんでしまうと、とても厄介である。もちろん、将来的にAmbitionとMoneyがからんでくれたらいいのであるが、ベースは日々の暮らしである。そこのバランスを乱すくらいにMoneyの青天井にすいよせられると、バランスがぐぐぐっと崩れ、それが人間関係や健康にだって影響してしまう。
自分の経験から条件づけていくことが尊い。それをだれかが課した条件に縛られると重たい気持ちになる。そしてたとえば「社会が」「会社が」条件づけたものに、自分の選べる自由が狭められ、絞らされてるとしたら、それは搾らされてることもあるだろう。
毎日生きていくなかで経験をしていき、心地よい暮らしに必要な条件を絞っていく。それを最低限やっていきながら、その条件も日々発見していきながら、最後に残るのは4つのうちどれか。おれの場合は、Ambition(熱意)となる。
この熱意とどう向き合っていくか、が最近のステージかもしれない。出会って、興奮して、がががーっと燃え盛っていくような勢いは、これから少しずつなくなっていくのかもしれないと、ここが変わっていくのだろうと最近思ったりする。でも、熱意はずっとあり続ける。こことの付き合い方を「真剣」から「平温」に変えていっているのかもしれない。平温で熱意に向き合い、平穏を続ける。
日々の暮らしに平穏と熱意を共存させたいなら、それらを平温で包んだほうがいいのかもしれない。
ハイパーリンクを設定しようと「平温」を英語で調べたら、normalとかaverage temperatureとでてきた。平温に適応する英単語がないのだろうか。ちょっと興味深い。
Leave a Reply