熱意をひとりで育てる

出発まで、30分。届いた日記を読みながら、「水曜日は短編のことを考える」というルールを、この前やぶってしまったことを思い出した。

Re: どこ、いつ、立たず、座ったまま。

ひそかに立ち上がりつつあるプロジェクトを、いまそっとやっている。こういうときって、没頭しやすい。「水曜日は短編ルール」は意識していたものの、「ここは熱意を優先すべし」とそのプロジェクトに時間をさいていた。

柳田國男が民俗学に関心ある者たちで集って語らう「木曜会」をやっていたことにちなんで、「ドがつくほどに妖怪について考える会」の意味もこめて「ドよう会」とした。

もうちょっと考えて、自分なりのこだわりで設定したら、よかったのかもしれない。「たんぺん」は4文字だから、月火水木と数えて、木曜日にしよう。水が流れるように書いちゃう日として、水曜日にしよう。とか。

あ、おれなんかルールをやぶったことに罪悪感を感じてるやん。まあ、まじめだこと。

— ☕️ —

自分のモチベーション管理で学んだことがひとつある。それは、プロジェクトの最初の立ち上がり時期か、準備期間は、それを他の人に名言することを最小限におさえることである。

そこそこ熱意がある状態で「これをやろうと思ってて」なんてはきだしてしまったら、そこでモチベがしぼむようである。「いまこれやっててさ」くらいで喋り出すのがいい。それも立ち上がって数ヶ月経ったくらいがいいのかもしれない。

例えば、「これいまやっててさー」と誰かに話して、「おーいいじゃん!うまくいくよ」と言われると、その人の想像のなかですでにプロジェクトが成功してしまって、そのままモチベが吸い取られる気がするのだ。なんてめんどくさいのだろう。相手は応援しているだけなのに。

まあでもここには、飽き性の自分という要素も含まれている気がする。「ある程度やった段階で伝えたい」というのは、自分のなかで「これは飽きずに、しばらくはやれるだろう」という確証を得ることでもあるのかもしれない。

「これいまやっててさ」と1週間前に言っていたのが、「やっぱちがくてさー」となっていたら、「また飽き性発動」ということになってしまう。たぶんなんか、自分のなかで育てたい欲が強いのだろうなあ。

おれの熱意というのは、初期の段階ではひとりで育てることが大事っぽい。

— ☕️ —

あと、なにかプロジェクトをやっているとしても、それは「あくまでいくつかあるうちの一つ」というくらいの気分でやるのも大事だと感じている。分散ってやつだ。燃えすぎると、そのぶん、灰になる可能性も高い。

まあ、灰になったらなったでそれもわるいとは言わないけど、そろそろ、灰にならない熱意との向き合い方を探さなくては、と思っている。最近ちょっと見えてきた。それが、ちょくちょく書いている、平穏と熱意を平温で包むってやつ。

こうやって書く機会があるから、こうやってめんどくさい部分もはきだすのだけど、まあ、みんなそれぞれ、なにかしらの理由でめんどくさいのかもしれない。その自分のめんどくささを愛せるようになっていきたいねえ。

まだ、7時30分じゃないか。10分で書いた散文なので、ご了承を。

昨夜、iOSを17.2にアップデートして、Apple純正のジャーナルアプリをインストールした。音声もいけるのがいい。思いついたときに音声日記を録音アプリでつけているのだけど、これはジャーナルアプリに移行する。ただ、インターフェースはmuuteがいい。睡眠、歩数、消費カロリーまでチェックできて便利。かれこれ2年半つかっている。muuteが音声投稿に対応したら、神なんだけどなあ。

yoshikazu eri

当サイトの運営人。大阪生まれ千葉育ちの87年生まれ。好奇心旺盛の飽き性。昔は国語が苦手だったが『海辺のカフカ』を2日間で読破した日から読書好きに。気づいたら2時間散歩している。

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