変化を「へんげ」と読む話を読んで、「”へんげ”のほうが能動っぽいなあ」と脳内でつぶやく。「へんか」だと外的な状況に対応する感じで、「へんげ」だと自分主体で現象をひきおこす印象である。
Re: 変化を待つか、変化するか
手元の新明解国語辞典で「へ」のページをめくる。へんか、へんげで別々の項目があるではないか。
【へんか】時間的・空間的な推移によって物事の性質や状態などに違いが現れること。
新明解国語辞典 第八版 1418項より
【へんげ】神や仏が仮に人の姿になって現れること
「へんげ」の意味が、なんとも色気のあるものになっている。たしかに「○○変化」というように「へんげ」という言葉は冒頭に別の意味がくっつくイメージがある。七変化とか。
一方で「へんか」だと、「変化に対応する」とか「世の中は急速に変化してきている」とか、外的な意味合いである。「へんかは受動、へんげは能動」とも言えるのかもしれない。
— ☕️ —
「へんげ」の話は、昨日書いた前のめりの件にもつながる気がしてきた。うーん、どうつながるのだ。書いておきながら「つながる気がする」というだけで、じゃあどうつながるのか書けない。と、止まりそうになるキーボード上の指を動かし、脳内を書き垂れ流す。
まあ、いいや。ちょっと朝のさくっと書く時間では、これ以上考えられない。朝に熟考はしたくない。というか、最近の「書く」は「さくっと」が大事だ。熟考してたら腰がおもたくなる。「へんか」に対応できなくなる。「へんげ」できなくなる。
「変化に対応する」ってなんて色気がないのだ。「へんげする」は色気がある。で、だ。前のめりになることで「へんげしちゃう」のかもしれない。「へんげするぞ」ではなく、「へんげしちゃってた」になるのかもしれない。
そういえば分人の話は、「へんげ」とも言えるのだろうか。会う人に応じて、多様な自分のひとつが現れる。それも「へんげ」だろう。ただこの話でいうと「本当の自分はいない。ぜんぶ自分」という話だった気がするから「仮の姿」というのはちょっとしっくりこない。
なんちゅう散文をはきだしてしまった朝である。安心してほしい、☕️以降の文章はすべて忘れてしまって問題ない。今日は寒くなりそうである。
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