TikTokでカメレオンの動画が流れてきた。ツノが3本ある。ジャクソンだ!とすかさずおれの脳は反応する。ジャクソンカメレオンについてなんて、今までそんなに考えたことはない。専門学校時代に「ツノあるやん。かっこええ」と思ったくらいだろうか。記憶というのはおもしろいもので、なにかのきっかけでしゅいっと飛び出す。忘れてはいないが、覚えてもいない。でも、脳のどこかに入っている。
でも歴史の知識については、おれの脳はぜんぜん機能してくれないみたいだ。高校時代の選択授業で地理か歴史か、で地理をとった。過去を学ぶくらいなら現在を学びたい、と。社会人になってからこの選択がボディブローのようにぐつぐつと効いてきた。歴史の本を読んでいても、それは一時的に知識として入るが、一定期間で抜けていく。ぜんぶ短期記憶になってしまう。
おれの脳は、歴史というジャンルに対する情報を入れるための体制がないみたいである。耐性もない。だから何度となく歴史の本を読んでは「へ〜」とつぶやき、その関心は別のジャンルにそれ、戻ってきたころにはふりだしに戻っている。厳密にはゼロに戻るってことはないだろう。でも、ほとんど脳から出ているように感じる。瞬時に「ジャクソンだ!」と叩き出す瞬発力は、歴史には適用されない。歴史より爬虫類のほうが優勢のようである。
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よくよく考えてみると、そりゃそうかもしれない。歴史というのは広大で、それをまんべんなく勉強するなんていうのは途方もない労力を使うことになる。むしろ、可能なのだろうか。人生を捧げて研究しても終わらないのかもしれない。それでも、「日本史、ざっくりわかる!」というような全体的にまんべんなく教えてくれる本を手に取ってしまう。
だから、ピンポイントで「この時代を知りたい!」と、例えば明治時代とか縄文時代とか、そういうのを選んで狭く掘っていくのがいいんだろう。しかも、そこに熱意が注げられていない限りは、得た知識は短期記憶にとどまり、あとでくるんとリフレッシュされてしまう。
でも、そのときの自分の興味と歴史のある時代が重なるという現象が、なかなかハードルが高い気がする。先日、『生きづらい明治社会』という本を読んだ。こういうのをもっとやりたいのであるが、なかなかね。
「これやったほうがいいよ」と言われて熱意を注げられる柔軟な脳をしていないから、やっぱり「これいいな」を探したいわけである。
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ちょっと今日はだらだらな感じになったが、こんな感じで終わろう。感じ感じ、と続いてしまった。漢字も深いですね。我が家には『字通』がある。まさに鈍器みたいな本である。ドンキは便利である。TikTokでブルース・リーがぬんちゃくで卓球をやっている動画が流れてきたが、あれは本当だろうか。本当に見えた。まじすげえかった。
脳が溶けてきたところで、終わりにしましょう。今日は書店にいって歴史本の散策。新書か文庫がいいですな。よい出会いを期待する。
※サムネはUnsplashより
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