空気注入よりも器の強化

金曜の夜に、無事に親知らずの抜歯はおわった。麻酔を注入され、浸透するまでに20分ほど待機して、30分ほどの施術で完了した。基本的に痛みはないが、途中のめいっぱい口を開かれながらの力づくの引き抜き作業は心理的にきたものがあった。そして、引っ張られた唇はいたかった。そんでもって、ちょいと歯のところも痛かった。

麻酔が効いてる状態で「痛いです」といったところで、なにか改善できるのだろうか。そんなことを考えながら、こらえて、痛み止めと抗生物質と抜いた歯を記念にもらい、次回の予約をして帰った。

あれから3日、昨夜痛み止めは飲んだが、ほっぺは大きく腫れる様子はなく、痛みも前回ほどではない。調べてみると、腫れないパターンもあるみたいで、今回は”マシ”だと信じることにした。とはいっても、食事のときは大きく口は開けられない。慎重に食べている。

Re: 多種多様なベタを見つめて

そうそう、ベタという魚について補足をすると、熱帯魚店にいけばわりと売っている魚である。熱帯魚飼育好きの人たちの間で「ベタ飼ってるんだ」というと「あーベタね」と返されるくらいの魚である。ベタの習性は個性的だけど、存在自体はレアではない。ちなみに「グラスで飼える」と書いたが、大きい水槽であることにこしたことはない。あの表現は、ベタのサバイバル力を伝えるためのような文言である。

ベタは「指定された箇所を真っ黒に塗りつぶす作業」のことをいうらしい。そしてベタは、作品の「心理描写や場面の強調を表すため」に行われるそうだ。「ありきたり」という意味のベタも、たしかにそれを行うことで、焦点の当たる自分の気持ちみたいなものがあって、どことなく通ずるものがあるわけだ。

そういえば、漫画のベタもあったか。「ベタ塗り」とか聞くしなあ。

次の一手を考えるときの表現として「半歩先」「一歩先」とかあるけど、この「半歩先」が「あるない」に近いのかもしれない。先取りしすぎると「ないない」になってしまい、周りがぽかんとしてしまう。でも半歩先くらいだったら、「あるない」になってまわりをつかみ、「ない」を見せるチャンスが生まれる。

「ないない」で引きつけられるのは、天才科学者くらいだろうか。それでも、本人が直接語ったのでは周りがぽかーんとしてしまうから、それを「あるない」に変えて世間に伝えてくれる人が必要ではある。

どんな物語でも、最終的に伝えたいことは普遍的なことであることは多々あるように思う。過去の数々の物語を、終着点としての「伝えたかったこと」カテゴリで分別したら、そう数は多くならないのではないだろうか。でも、みんなそこに行き着くまでの経路が違う。「ある」でつかみ、「ない」を見せ、さらに「ある」を見せる。「ない」を「ある」でサンドイッチするんだろうか。その「ない」に時代性とか作家性が滲み出るのかもしれない。

— ☕️ —

おれの最近の課題といえば、「期待しないこと」である。個人プロジェクトの話。

ちょっといい感じになると、わかりやすいくらいにアプリを開く回数が増えたり、考える時間も多くなる。いまままでの俺だったら「それでいいじゃん」となるのだけど、期待するとその反動も返ってくるから、たまに放置して適温に戻すことも大事な気がしている。

いま読んでいる『かすり傷も痛かった』に印象的な言葉があった。

「やらないで後悔するより、やって後悔したほうがいい」というような言葉を何度も本で読んできた。実際そうなのかもしれないが、やらなかった後悔、やれなかった切なさも愛おしい。

『かすり傷も痛かった』143ページ

行動が大事なことは前提としてありつつも、「期待」をして猛スピードで実行してきた自分を振り返ると、「できることはぜんぶやる」みたいな鼻息の荒さがあったようには思う。だって、できるんだから、やっちゃう。ぜんぜんそれでいいはいい。

だけど、そのスピードはもうちょっと良くできるんじゃないか。ふくらむ風船は、いつか割れてしまう。ふくらますスピードの話というよりも、その器の話かもしない。風船じゃなくて、ちょっと厚みのあるビニール製にしてみるとか、布のクッションにしてみるとか。そういえば最近、無印が空気でできたソファを出したじゃないか。あれくらいの厚みがあってもいい。

なんでも実行しようとすると、風船をふくらますことになりやすい。それよりも、その器の鍛錬を重ねながら、「実行」も重ねていく。器に注力することで「実行したかったけどできなかったもの」も浮かんじゃうかもしれないが、それらは愛おしく包んでいく。

空気を入れてふくらますことは、そこそこやった気がしている。いまは、空気の注入よりも器の形成をしていきたい時期なのかも。

p.s. 『不適切にもほどがある』は次にみるドラマの候補に入っている。『ブラッシュアップライフ』は、あと2話のところまできた。自分の中で「夕食視聴コンテンツ」という枠ができつつあるおかげで、「ちょっと気になってる」くらいの温度感でも見れちゃうのはいい。これがないと、吟味がはじまってしまうのだ。どれをみるかあまり吟味しないのがいいのである。

読書は、いまは併読気味である。ChatGPTの本だったり、かすり傷、労働法、小説は『すべてがFになる』を読んでいる。今日はSF小説『夏への扉』『月は無慈悲な夜の女王』を買ってきた。確保に近い。

最近は、常になにかドラマやアニメをみていて、小説を読んでいる。しかも毎日ちょこっとずつ。これがいいんだろう。自分の世界がちょっと広がっている感じ。

yoshikazu eri

当サイトの運営人。大阪生まれ千葉育ちの87年生まれ。好奇心旺盛の飽き性。昔は国語が苦手だったが『海辺のカフカ』を2日間で読破した日から読書好きに。気づいたら2時間散歩している。

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