「なんとなく」と「平温」

早朝から雪がふっている。日中は晴れるようだが、最近突然の雪が続くなあ。起きると、雪が降ってるみたいな。

Re: 空気を抜く力

届いた日記を読みながら「なんとなし」ってけっこう大事なんじゃないかと考えていた。夕食視聴コンテンツも「なんとなし」になにかを観るときのタイミングである。とりたてて大きな理由はない。特にそれをいうまでもないが「なんとなし」に観るものを決めて、観ている。ときどき「見て」いるくらいかもしれない。

今日もなんとなしにYouTubeを流していた。すると関連動画で「ミスタービーン」が出てきたのでクリック。知らなかったけどちゃんと公式チャンネルがあったのかなぁと感心。

今のおれはなにを観たいのか、読みたいのか。そういう感覚でコンテンツを選んでいくと、気づかないうちに期待値はふくらみ、吸収したいものも狭まれているのかもしれない。それがわるいかどうかは置いておいて、「これだ」とめがけて選んだものと「なんとなく」選んだものの2つを浮かべたとき、もしかしたら、セレンディピティとかいう予期せぬサプライズが入りやすいのは後者かもしれない。

おれにとっては、それが夕食のタイミングだったり、寝る前だったりする。夕食時は映像、寝る前は活字(小説)である。小説はあまり読まないが、最近「これおもしろいよ」と貸してもらった本がふえ、「とりあえず」「なんとなく」読み続けている。結果、小説を読む意欲というか筋肉がちょっとだけ鍛えられているのか、自宅の本棚にたくわえるように小説が増えていっている。

たまに「おもしくなくても最後まで読む」という人がいたりするのだけど、それってすごいよなあと思う。

おもしろくないから読むのをやめるというのは、期待していたものが手に入らないそうだ、という判断でもあるのだろう。自分が想定したものが得られなそうだから、やめる。一方で、おもしろくないけど読むというのは、ある意味で謙虚にかまえて、その先にあるかもしれない自分の知らない世界を見ようとする意志にも見える。そういう行動の先に、予期せぬ果実があることが多いのだろうか。

ドラマを観たり、小説を読んだりしていると、脳内のネットワークが広がっているように感じる。深掘りではなく、横の広がりである。「平温」と重なるけど、コンテンツを選ぶときにもこれは通づるのだと思う。平温で「なんとなし」に選ぶことで、脳内のネットワークの外に出会えるのかもしれない。

p.s. 『不適切にもほどがある!』をみはじめた。現在、第4話。わっきゃいが出てるじゃん!と思ったら、みんな同じように勘違いしているらしく、ぜんぜん別の俳優だった。

小説の話だと、昨日『タイタンの妖女』を購入。確保である。あとちょっとで『すべてがFになる』が読み終わる。

本に限らずだろうけど、そのコンテンツをリアルタイムで摂取するのはけっこう大事だよなあと改めて思う。いま読んで「おもしろいなあ」と感じるものは、リアタイだと「めっちゃおもしろい!なにこれ!」となっていたのだろうかと想像する。

yoshikazu eri

当サイトの運営人。大阪生まれ千葉育ちの87年生まれ。好奇心旺盛の飽き性。昔は国語が苦手だったが『海辺のカフカ』を2日間で読破した日から読書好きに。気づいたら2時間散歩している。

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