自宅の机のカフェ気分ゾーン計画、実現しそうである。仕切り方法については、つっぱり棒でいくことにした。幅280cmのものが数日中に届く予定である。カーテンは昨日スリーコインズでよいのを見つけた。
つっぱり棒が届いて設置してから、区切ったスペースの壁になにか飾ろうかなという気分である。”カフェ気分”ということは、居心地がよすぎてはいけない。だから、なにを飾るかについても「これいいな」よりも「これありだな」くらいの温度感のものを飾りたい。作業中はカフェの環境音を流そうか。
Re: どっちつかず妖怪ミチミチ
境界線にいる存在というのは、魅力的なんだなあと思う。そういう存在が主人公の物語がけっこうあるのではないだろうか。『東京喰種トーキョーグール』がそうだった。『シン・ウルトラマン』もそうだったのではないだろうか、たしか。どっちつかずな主人公が、どっち側にもつけず、ゆらぎ、孤独を味わう。
エンタメの世界だと、誇張されて「境界線にいる=大変」という見せ方になることもあるかもしれないが、実生活だと、その”ゆらぎ”自体に抵抗感を示さなければ、楽しめれば、むしろ自由なのかもしれない。好奇心の移り変わりがわりとある自分からすると、「ゆらいだっていい」というのは楽になる言葉である。
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最近、たまたま『逃げるは恥だが役に立つ』を数話みた。「プロ独身というのは、平穏を求める」というような言葉がでてきた。”プロ独身”は置いておいて、”平穏”というのは、おれも求めるものだろうなあと思う。最近の暮らしが平穏そのものだからである。平穏が続くと、じわっと心の温度が上がる。
かといって、100%平穏というのは飽きるだろうとは思う。2021年にじゃみー宅にお邪魔させてもらったときの会話を思い出す。
おれはルーティンが好きで、毎日同じようなことが起こることに安心感を覚える。それがそのまま平穏ということなのだろう。この「平穏」という言葉には、心配性からくる「もしこうなったら」という出来事への対策もちょろっと含まれていたりする。「まあ、こういう感じにしておけば大丈夫だろう」という対策をちょっとしておくことで「平穏」をできるだけ長続きさせる。
最近は、ひとりでいるときはあんまりお金を使わなくなった。前職から比較して年収が下がったことも関係しているが、わりと節約自体を楽しめている自分がいることに最近気づいた。
毎日飲む缶コーヒーをケース買いすると1500円、スティックにすると500円、インスタントにするとさらに安い、とか。ランチはコンビニで買わずに、スープジャーで持っていく。水はマイボトルで持ち歩く。
カフェ気分ゾーン計画も節約の一環ではあるが、部屋のレイアウト調整みたいな感じで楽しんでいる自分もいる。生ゴミをコンポストで堆肥化するのもありだなとは思っているが、その堆肥の使い道がないので、保留としている。そういう堆肥を野菜と交換してくれるサービスもあるっぽいが、都心オンリーという印象だった。
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そうやって節約をゲーム感覚で楽しんでいる。家計簿で計算してみて、月10万円あれば十分に暮らしていけることがわかっているから、べつにめっちゃがんばって節約する必要もない。たまに本だって買える。
そうやって日々節約ゲームをすることで、休日に遊ぶお金ができる面もある。日々の平穏を保ちながら、ときどき刺激を味わってみる。
最近はインプット期間ではなく、アウトプット期間な印象がある。本を読む手がちょっと重たい。映画だって途中で寝落ちしてしまう。夕食時にみる『相席食堂』とかドラマとかが、数少ない最近の長尺寄りの動画コンテンツ消費かもしれない。
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というか、自分はいまどっちのモードか、なんてこともあまり意味はないのかもしれない。今日読書欲がぐわっと出るかもしれない。人類学者のティム・インゴルドが言うように、初期段階の発酵を”生け捕り”にしてみたい。それが、ゆらぎをつかむことかもしれない。固まってヨーグルトになる前の「よーグる」をつかみたい。
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