仕事から帰ってきて、コップにトリスを1cmちょっと入れて、炭酸水をトクトク注ぐ。note、Threads、Xを眺めつつ、3口ほど飲む。1週間が終わった。自分へ、おつかれさま。そして、朝食時の食器を拭きはじめる。
いつもならこのまま夕食をつくりはじめるのだけど、いや、今日はその前に書いちゃおう。今週、何度か「今日書くか」というタイミングはあったのだけど、お腹いっぱい夕食を食べると、脳に注がれていたリソースが一気に消化系に流れてしまい、「くはあー、食った食った」と、それ以降は生産的なことができなくなってしまう。「また次回にしよう」、これを何回か繰り返していた。
食器を拭いて、さて自炊でもするか、というタイミングで、今日はこらえる。机に座って、パソコンを開き、Chromeを立ち上げ、ブックマークから「Blog>ログイン」、そして届いていた交換日記を開く。
Re: 甘くて美味しいものは間にある
イヤなこともいつかは終わる。結局、締め切りがあればヒィヒィいいながらもやる。4月を抜ければどうにかなってるかもしれない。気をつけるのは新たに引き受けるものを減らすことである。とにかくいったん差し止める、「やめる」ことを増やしてしく。それが変化変容への一本だとしたい。
締め切りって大事だな、と思う。こわいけど。先月末に練習の短編を書いたときの話である。期間は、2週間くらい。「今月中に書くぞ」と意気込み、Googleカレンダーにはリマインダーで「短編:構成決定」「短編:執筆開始」「短編:公開」と入れていた。1週間で構成を決めて、翌週から書きはじめて、その週の終わりに公開というイメージであった。
だが、だが、構成が決まらん。いくつか種はあったのであるが、オチが決まらん。どう終わらすか、これがぜーんぜん見えないのだ。アイデアは悪くない、だが、どう終わらすんだ。
そうやって悩みながら、アイデア1を捨て、アイデア2を採用して、アイデア2を捨て、アイデア3について考える。ChatGPTに質問しても状況は一向に前に進まない。AIは「0→1」には向かない。枠が決まって、その微調整くらいに使うのがいいんだろう。ただ、Claudeというのを使ったら、なかなか頭がよくて、アイデアこそ採用はしなかったが、いい刺激とはなった。
「ああ、やっぱきついかな。微妙だけど公開しちゃおっかな。完璧よりも終わらすことが大事だってザッカーバーグも言ってるじゃん?とりあえず、納得できなくても公開しちゃおうよ」
やさしい俺が言う。
「いや、納得できないのを公開したところで後悔するだけでしょ。それ、とりあえず『おれは書いたぞ!』感を味わいたいだけじゃん。ある程度のラインはあるわけで、そこは納得できるものを公開するのが筋でしょう。自分のこと職人だって思うなら、そこのプライドは粗末にしちゃあ心が沈むぜ」
きびしい俺が言う。
それでどうなったかというと、なんとか、納得できるものは公開することができた。脳内でなにがどうなって公開できたかは覚えてないけど、とにかく「この日までに公開だ」とGoogleカレンダーのプレッシャーを受けながら、仕事の休憩中も考えていたら、ふと「あ、これいいんじゃないか」となったわけだ。
締め切りがあるときついが、締め切りがあることで、なんとか納得がいくものを公開はできた。学びもあった。「クリエイティブなことってマジ大変だ。だって、いいものをつくるには悩まなくちゃいけなくて、それって”苦しみ”を通過することが前提の作業じゃん」という感じのやつである。
創作的なことをしていきたい、していく、している自分としては、それをやるということは基本的には孤独な苦しみがあって、それを味わった先に、最高のものがあったりすることがあるのだろうな、というやつ。こういうの、本とか動画だと「いやー、わかるけど、大変そう」と他人事というか体育会系みたいに聞こえるけど、自分で体験してみると、なんだか「苦しみの先にいい景色待ってるぜ」と思えた。苦しみか、焦りか、切迫か、脱コンフォートか、このあたりの言葉選びはまだまだ荒削りではある。
まあ、締め切りさえなければ、自分のペースで心地よく創作活動もできるけど、一方で締め切りが生み出すものもあるだろうとは改めて思った。
おれもついつい、交換日記は勢いで書きすぎてしまう。今日はハイボールが円滑油になってる説もあるが、それを考えると抑えてるようにも見えてきた。
p.s. アニメでいうと『狼と香辛料』『狼と香辛料 II』をみおわって、リメイクの1話をみたあたりで「また今度にしよう」と、ゴブリンスレイヤーの映画に手を出している。助かった。時系列的には映画が間に入ることは知らなかった。
本の話でいうと、ここ最近、本(出版社や書店など)に関する本をむさぼるように読んでいる。『あしたから出版社』からはじまり『書店のミライとカタチ』『夏葉社日記』、いまは『本屋になりたい』を読んでいる。『千年の読書』『本の読める場所を求めて』『夢の猫本屋ができるまで』『本を読む本』も積読している。
ここ数年、ますます本という存在が好きになってきている自分がいて、「本が好きな気持ちを、みんなどう発散しているのだろう」というのがあって、いろいろと読んでいる気がする。夏葉社の島田さんの価値観というか、考え方が好きで、それがより一層他の本を手にする起爆剤になったような気もする。
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