隠居、承認欲求、分人

親知らずを抜歯する日が近づいてくるなか、花粉がやってきている。今日は雨だっていうのに、なかなかムズムズする。春は近い。花粉も近い。自然は大好きだが、春はその自然が脅威になってくる時期でもある。毎度の複雑シーズンである。

Re: 漏れることば

おれもおれで、個人プロジェクトの発信で「他人に向けて」を最近やりはじめているのがある。反応がくるのがうれしいし、誰かの役にたっている感覚は、心をじんわり暖めるものがあると改めて思う。数字の大小も大事だが、その質も同じくらい大事にしていきたい。

ネットが発達してきて景色がすごい変わってきていて断然ウェルカムではあるが、一方で「数字の質」に意識を向けることが難しいことは変わらない。資本主義と相性がよくないのか、改善する様子もあまりないから、自力で努力するしかないのだろうと感じている。

マーケティングも大事だけど、それよりも哲学であったり文化人類学であったり、そういった分野に興味がここ数年で向いてきているのも、「数字の質」を見つめる行為のための一部であるように想像している。

つかみは、「だれ(どういう見た目、背景を持ったやつ)が」「なにを」「どのような伝え方をするか」というルーレットの組み合わせだと思うんだけど、その意識の欠如を痛烈に感じる。悔しさはある、けど、「自分のために」から「他人に向けて」というシフトが少しずつ行われてる嬉しさのほうが勝る。

「つかみ」はマーケティングにも似ているように思う。もしかしたら、社会との接着剤でもあるのかもしれない。もしくは家の内装よりも玄関をどう演出するか、という話かもしれない。

じゃみーとは10年以上の付き合いになるから、じゃみーが粛々と準備を重ねてきているのは、一部ではあるけども垣間見ているつもりではある。だから、しっかりとしたベースがあったうえでの「いよいよ」感を感じている。いよいよ、表舞台へ、というような。

もうすぐ『葬送のフリーレン』がみ終わるのだけど、

あ、ネタバレがNGな方はここで閉じていただきたい。ネタバレが厳禁の傾向が強いアニメではないけど、ネタバレはネタバレだから、気になる方は。

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長寿のフリーレンは、ずっと表舞台にでずにいた、という話があった。物語では何度か「ついに表舞台にでてきた大魔法使い」という表現がある。ただ、フリーレンはそこで「わたしは偉大なる大魔法使いである」と出るわけではない。むしろ、魔力をずっと制限している。通常であればその行為自体は負担をかけるものであるけど、フリーレンは修行によって”常に”魔力を抑えることができるようになっている。

その理由は魔族を欺くためではあるのだけど、この「魔力を抑える」っていうのはなかなか深い話であるように思った。フリーレンが魔力を解放するシーンがあるのだけど、それがすんごいのである。でも、それは普段は見せない。ここぞというときにのみ、解放する。

「能ある鷹は爪を隠す」という話ではあるのだけど、それ以上の深みをちょっと感じたというか。フリーレンは「わたしってすごいんだぞ」というつもりで魔力を抑えたり解放しているわけではなく、それは「他人のために」やっていることのようにも見えた。しかも、フリーレンにはあんまりそのつもりがない。威張るつもりはないが、「平和のために!」と気張っているわけではない。たまたま「他人のために」になっていて、それはポジティブな”誤配”であるようにも見えた。

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それこそフリーレンは何百年と隠居していたようなものだろう。おれは人間だから、とてもエルフの時間軸に合わせることはできないが、最近のおれは隠居モードに近いのかもしれない。ブログ、Youtubeとある意味で表舞台に立つことをがんばっていた時期を経て、いまは隠れてひっそりと暮らしたいモードである。これが一時的なモードなのか、これを経て価値観が変容していくのかはいまのところ未知数である。

いまやっている個人プロジェクトに「江里祥和」という人格を表面上でひもづけていないのも、これが影響している。いままでは「江里と申します!よろしゅう!」とやっていたが、いまは使い分けている感じだろう。ネット上での分人が発生しているのかもしれない。

いまは、粛々と暮らしのベースとなる収入を築くことをやっている感じだろうか。発信は好きだから、これからも「江里祥和」として発信してはいくが、これと「収入」は別で考える視点が入ってきている。承認欲求にまどわされる時期を通過したとも言えるかもしれない。

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死ぬまでにやりたいことかあ。なんだろう。それがいまぱっと浮かばないから、隠居モードなんだろうと思う。社会になにかしらの痕跡を残したいとは思っているが、どんな痕跡を残したいのか、というのは時間をつくって考えないと見えてこない気がしている。考えてみたい。

p.s. 毎度じゃみーの文量の倍くらいの文量で返答してしまっているのは、最近はテキスト発信がこの交換日記に寄っているのがあるだろうと思う。

そういえば最近、箕輪厚介さんのインタビュー動画をみて「習慣を大事にするようになった」と話していて、いまの自分とちょいと重なる部分があった。けっこうマッチョな活動をしていた人が自分と同じような価値観を持ち始めている...と思い『かすり傷も痛かった』をポチった。もうすぐ届く。

『PERFECT DAYS』はやはり観たい。とはいってもそのために都内に出向くのは面倒だから、配信で見ることになるかもしれない。『哀れなるものたち』も『ボーはおそれている』も観たいんだよなあ。ただ最近、映画館にいくよりもやりたいことがあったりで、困ったものである。

yoshikazu eri

当サイトの運営人。大阪生まれ千葉育ちの87年生まれ。好奇心旺盛の飽き性。昔は国語が苦手だったが『海辺のカフカ』を2日間で読破した日から読書好きに。気づいたら2時間散歩している。

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