「ズレ」るか「狂う」か

ここ数日間のブログを読みかえしてみると、「結局は、運だ」とか「後悔というのがない」とか、なにを優等生ぶったことを書いているんだ、と自分にツッコミをいれたくなった。

なんというか、ちょっと冷めてる感じがするのだ。べつにウソではないし、ただちょっと解像度が足りない気もしてきているし、ここでちょっと体温を上げていくのもいいのではないか、とも思ってきた。

今月はリサーチ期間としてインプットに徹するつもりだったけど、ちょいちょいアウトプットもしていき、微熱くらいに体温を上げていきたいような気もする。

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そこでなんとなく「狂う(くるう)」という言葉をもってきてみる。

【狂う / くるう】
狂うとは、精神・物事・機械の状態が正常でなくなる。我を忘れて物事に熱中する。予想が外れる。計画通りにならない。

語源由来辞典

「予想が外れる」「計画通りにならない」なんていうのは人生そのまんまじゃないかと思ったんだけど、そうなると全員が狂っているということになる。みんな狂ってるのか。文字にするとすごい圧だ。

そもそも予想通りにいく人生というのは「つまらない」となりそうだし、社会で暮らす以上は他者と交流することになるから不確定要素がいっぱいある。「人生は思い通りにならない」なんて言ったりするが、そうすると「人」が狂っているのではなく「人生」が狂っているのか。「人生」は「人が生きる」と書くから「”人は生きる”は狂っている」ともなる。人ではなく人生が狂っているので、人は狂っていない。

あー、ちょっとこのへんにしておこう。

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では、「ズレている」というのは狂っていると同義なのだろうか。そんな感じはしない。

どちらかというと「ズレ」が大きくなって「外れちゃう」と「狂う」なのか。いやでも、さっき引用した意味で「我を忘れて物事に熱中する」とある。世間から外れちゃうことが「狂う」と考えちゃうと、意味が通らない。

「狂う」はなにかの集合体なのだろうか。ズレる、変なの、個性的、やりすぎ、夢中、熱中、あ然とか、いろいろな現象が集まって、それが「狂う」という塔を形成しているのだろうか。

植物の音で音楽つくっちゃう人は狂ってるし、ひたすらマンホールの写真を撮りづつける人も狂ってるかもしれない。でも「狂ってるね」というよりは「すごい」「やばい」みたいな言葉になりそうである。

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『世間とズレちゃうのはしょうがない』という本に、「世間とのズレが仕事の動機にもなり、努力の源になる」というような表現があって、わりとこっちが個人的にもっている「社会になじむ」という動機と相性がよさそうである。

狂うと社会にはなじめなさそうである。狂うというワードの力が強すぎる気もする。

どちらかというと「これが本筋」というのを認識したうえで、あえて「ズレ」る。この「あえて」というのは、ズレ自体をつくるわけではなくて、自分の中にすでにある「ズレ」を認識して、それをそのままにしておく、許容するみたいな意味に近いかもしれない。そのままにして「本筋」に提示してみる。

ズレてるから、やってみたくなる。努力したくなる。それはズレを修正するという意味ではないが、「どうズレてるのか」という表現に変えることで「本筋」に包括されながらも、ズレ続けられるのかもしれない。それをちょっとがんばってやってみる。努力してみる。ズレてていい。ただ、そのズレ現象をときにはオブラートに包んで「本筋」に放ってみる。

これをすることで、自分のズレが肥大化して「狂う」にはなりづらいのかもしれない。でも、狂うの意味が「夢中になる」なんだったら、狂ってみたいとも思う。

言葉ってむずかしい。体温、ちょっと上がった気がする。意味わかんない文章かくと体温あがるのか。

※サムネはUnsplashより

yoshikazu eri

当サイトの運営人。大阪生まれ千葉育ちの87年生まれ。好奇心旺盛の飽き性。昔は国語が苦手だったが『海辺のカフカ』を2日間で読破した日から読書好きに。気づいたら2時間散歩している。

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