シティポップに和む

最近、シティポップというジャンルの音楽を聴くことが多く、聴くとウキウキする。

「シティ・ポップ」というのは「昭和時代の曲」とも言い換えられるのだけど、ウィキペディアにはこんな説明がされている。

シティ・ポップ (city pop) は、1970年代後半から1980年代にかけて日本でリリースされ流行した、ニューミュージックの中でも特に都会的に洗練され洋楽志向のメロディや歌詞を持ったポピュラー音楽

Wikipediaより引用

ぼくが生まれたのが1980年代後半だから、「シティポップを聴いてる」というのは「自分が生まれる前か、生まれた頃にリリースされた曲を聴いている」と言っていることになる。

特に好きなのは、この曲。

杏里というアーティストはよく知らないけど、この曲は聴き覚えがあった。

Spotifyにはシティポップの公式プレイリストがあって、いつもは「City Pop ’80s」というものをシャッフル再生している。どれもいいけど、この曲はとくにウキウキする。

「ウキウキする」というのは、なんだろう、「テンションが上がる」とは違くて、聴く前の気分が50だったとしたら、それが60とか70くらいになる感じである。「テンションが上がる」というのは、50が80とか90に跳ね上がるイメージ。

シティポップはなんか、テンポがゆっくりで、でも聴いているとウキウキする不思議さがある。当時ぼくはこれらの曲をしっかり聴いていたわけではないのに「懐かしい」という感覚も生まれる。でも「懐かしいなぁ〜」だけでウキウキしているわけではない。

昭和時代の消費サイクル

ぼくがうまく説明できていないこの「ウキウキする」という体験を、うまーく説明してくれているのが、Night Tempoというアーティスト。

ウェブメディア「TOKION」のインタビュー記事「連載「時の音」Vol.8 このめまぐるしい社会の中で Night Tempoがレトロカルチャーに見出す魅力」にて、こう説明している。

今って、消費文化のサイクルがどんどん短くなっていて、消費の流れが早くなっていますよね。その中にいると、いつもみんな急いでいるし、疲れてしまう。そうやって、今の時代に疲れた人達が、サイクルが遅かった昔の時代にあったものに癒されるようなところがあると思うんです。

TOKIONのインタビュー記事より引用

この記事では「レトロなポップス」と表現されているが、これはぼくがシティポップに惹かれる理由のひとつにもなっていそうである。

だって今は、新商品がばんばん発売される。ぼくがフルスペックの16inch MacBook Proを40万円で買った数ヶ月後に、AppleがM1をだすような時代である。ショックだったが、同時に「買うべき適切なタイミング」というのが幻想だというのを痛感した。

でも昭和の頃は、もっと消費サイクルがゆっくりだったのかもしれない。ぼくは人生体験としてはあんまり覚えていないのだけど、その様子がシティポップという楽曲群のテンポや曲調に反映されている、残されている気がする。

だから聴くとウキウキする、周りの速い消費サイクルの流れから隔離されて「安全ゆったりスペース」のような空間がつくられ、粘膜で保護されているような感覚になる。ぽわーん、となる。

刺激も好きだけど

ぼくは新しもの好きで、新しいウェブサービスとかSNSはすぐ試したくなるタイプ。だから、刺激は好きではある。

ただ、そういう状況にずっといると、たぶんじわじわ精神が疲れていくというか、ずっと波に乗っている状態になって酔うのかもしれない。たまには海からでたいのに、スマホという道具によって海から出る難易度が高まっている。

そんな状況でシティポップを(スマホ上ではあれど)聴くと、一時的に海からでれて、小休憩を得られる気がする。シティポップには、ぼくが自覚的に堪能できなかった「昭和の暮らし」がぎゅっとカプセリングされているのかもしれない。

ちなみに、Night TempoバージョンのRemember Summer Daysも良い。これこそウキウキかもしれない。

yoshikazu eri

当サイトの運営人。大阪生まれ千葉育ちの87年生まれ。好奇心旺盛の飽き性。昔は国語が苦手だったが『海辺のカフカ』を2日間で読破した日から読書好きに。気づいたら2時間散歩している。

Leave a Reply

Your email address will not be published.

CAPTCHA