ありのまま、とは – 『全裸監督』シーズン2

昨日、『全裸監督』のシーズン2を観終えた。完結編ということで、ちゃんと終わった感はあった。シーズン1よりもさらに面白くなってきた印象であった。

このお知らせ動画で村西とおる(山田孝之)が「シーズン1を見て終わりということは、何も見ていないということに等しいのです」と言っているが、誇張とは感じなかった。テーマがAVということで好き嫌いは分かれるだろうが、エンタメ作品としての完成度は高いし、イッキ見してしまった。

『全裸監督』を見て考えてしまったのが「ありのまま」という言葉の意味。これにはAV的に女性が「ありのまま」を見せるという意味合いももちろんあるが、それぞれの人物の性格、生き方というの意味での部分を考えてしまった。

(ここから若干のネタバレを含む)

シーズンの後半、トシが村西とおるを車で山奥まで連れていき、拳銃で殺そうとするシーンがある。それまで無言だった村西が「ちょっと待て、トシ!撃つな!」と懇願する。そのとき村西が、こんなことを言う。

「おまえは愛の人間だ。人を殺しちゃダメなんだよ。自分の心まで殺すな。俺を見るな、自分の心を見ろ。おまえは殺しちゃダメなんだ。」(正確な文面ではないと思うけど)

これを観ながら、なんか自分と重ね合わせてしまったというか。もしここでトシが村西を殺してしまっていたら、彼は罪悪感に犯され、人生が狂って自殺か巻き添え殺害かなにかしてしまうだろうな、と。

たぶん、そんなことはトシ自身もわかっているのだと思う。それでもこの決断をとろうとしている、持ちたくない拳銃を、向けたくない相手に向けているトシが映っている。「トシらしさ」が映っていた。

後半には、借金まみれになり、キャストやスタッフから見放され、ホームレスになってしまう村西が映る。「ナイスです!」「ファンタァァァスティック!」といった元気さは、もうどこにもない。

そんな村西を川田が見つけ、「どうか、村西さんらしくしてください」と伝える。そこで海岸に落ちていた石を拾い上げ、「これを僕に売ってみてくださいよ」と村西に渡す。

生命力が抜けてしまった、抜け殻の村西がそこから「こちらの石はですね!」と村西節をかまして川田に石を売りつけはじめる。「村西らしさ」を取り戻すシーンである。


このドラマでは、それぞれの登場人物のキャラが濃い。そして、それぞれの人物が「ありのまま」を見せたり、失ったり、また見せていくなかで、何度もぶつかっていく。でも、それで誰かが「ありのまま」ではなくなるということはなかったのではないか、と感じた。

全ての人間が「ありのまま」でいたら、そりゃ衝突するだろうよと思う。だからみんなどこかで折り合いをつけていき、そうして社会や集団は保たれていくのかもしれない。

『全裸監督』には、「ありのままを優先しようよ」と言われているような気がした。すごく平凡というか、どこかの本に転がっているであろう表現ではあるが、それをAVという世界を通して、すごく特殊な形で伝えられたような気がした。

まぁ、そうやって「ありのまま」を優先していくと、うまくいかないことだってあるだろう。このバランスは難しい。優先した結果、困窮することだってあるかもしれない。

でも、村西ほどに困窮することはないのではないか。だから彼は、最後に頼もしい言葉を放つ。

「死にたくなったら下を見ろ。おれがいる。」

※サムネはNetflixからのスクショ

yoshikazu eri

当サイトの運営人。大阪生まれ千葉育ちの87年生まれ。好奇心旺盛の飽き性。昔は国語が苦手だったが『海辺のカフカ』を2日間で読破した日から読書好きに。気づいたら2時間散歩している。

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