未熟とは – 『自分の中に毒を持て』岡本太郎

昨日、Kindleで『自分の中に毒を持て』(岡本太郎)を買った。まだ3割読んだくらいだが、今の自分に言われているような言葉が並んでいて、食い入るように読んでいる。

実は昔1度読んだことがあるのだが、あまり内容は覚えていない。当時の自分には刺さらなかったのかもしれない。あれからおそらく数年経ち、2回目を読んでいるが、今の自分に刺さっている。

特に印象的だったのが「未熟」に関する言葉。

 人間は誰もが未熟なんだ。自分が未熟すぎて心配だなどというのは甘えだし、それは未熟ということをマイナスに考えている証拠だ。ぼくに言わせれば、弱い人間とか未熟な人間のほうが、はるかにふくれあがる可能性を持っている。

『自分の中に毒を持て』より引用

ぼくには未熟なところがたくさんある。気配りはできないし、物事は続かないし、目つきは悪いし。でもこれは岡本太郎的にいえば「可能性がある」ということである。「下がったら、あとは上がるだけ」という表現もあるが、「未熟」という言葉でのこの説明が、自分的にはすっと入った。


気になる言葉が多すぎて、ページの8割にマーカーを引いてる箇所もあるくらいだが、この言葉も救いになった。

計画性なんていうことにこだわらず平気で捨ててみて、つまらなかったらやめればいい。途中で放棄しても、放棄してしまったということは余り考えない。

『自分の中に毒を持て』より引用

ぼくは物事が2〜3年で飽きてきた(短いと数ヶ月)から、これに関して「未熟だなぁ」と思いつめてしまうこともある。なんと継続力のないやつか自分は、と。でもこの言葉で少し気が楽になった。やってみたいことがあったら、やってみればいい。飽きたらやめればいい。これくらいの気構えでぼくはちょうどいいのかもしれない。


ただ、岡本太郎の言葉には、ちょっとGaryVee的な側面がある。

GaryVeeというのは有名な経営家、投資家で一時期この人のポッドキャストをよく聴いていたのだが、まぁ体育科系というかパワフルな人なのである。こちらが「やっぱそうだよな」と思っていたようなことを「そうだよ!」とパワフルに返してくる。メンタルが弱っているときに聴くと、ダメージを受ける。正常なときに聴くとモチベがわく。

岡本太郎の言葉にも、どこかGaryVeeのようなパワフルさがある。ただ、こうしてモヤモヤしているぼくが読んでも、すっと入ってくる言葉がたくさんあった。

それは、ぼくが「このまま何もしないで終わりたくない」と思っているからかもしれない。それを後押ししてくれる言葉が力強く、ときにはやさしく並んでいる。


もちろん、「飽きたらやめればいい」という言葉をそのままドストレートに受け止めるのはどうかとは思うので、これから少しずつ自分なりに消化する必要はある。取扱注意な、劇薬になりうる言葉も並んではいる。

ただなんか、この本を読んでいて岡本太郎に「やりたいことがあるんだろ?それやらないと後悔するよ」と言われているような気がした。

まだなにをやりたいかは見えてきてはいないが、わかっているのは、ぼくは「なにか」をやりたいということ。自分の未熟な部分にフォーカスしがちなことは昔からだが、それをマイナスととらえずに、ポテンシャルとして捉えて進んでいきたい。


仕事前にざっとこの記事を書いているので、雑多な感じになってしまったが、岡本太郎の言葉の力強さを感じている午前9時である。

yoshikazu eri

当サイトの運営人。大阪生まれ千葉育ちの87年生まれ。好奇心旺盛の飽き性。昔は国語が苦手だったが『海辺のカフカ』を2日間で読破した日から読書好きに。気づいたら2時間散歩している。

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