6時過ぎに起きて、顔を洗って、早々に公園へ行く。紀里谷和明監督が昨夜ツイッターで映画『世界の終わりから』の語り合いスペースを開いていたのを思いだして、それを聴きながら、いつもの公園の光景を眺める。 「音と映像は映画作りで…
6時過ぎに起きて、顔を洗って、早々に公園へ行く。紀里谷和明監督が昨夜ツイッターで映画『世界の終わりから』の語り合いスペースを開いていたのを思いだして、それを聴きながら、いつもの公園の光景を眺める。 「音と映像は映画作りで…
おれは勘違いしていたのかもしれない。自分の頭で考えることは、もしかしたら自ら可能性を閉じている行為だったのかもしれない。 『スマホ時代の哲学』がなかなかおもしろい。半分ほど読み終えた。この本では、自分の頭で考えることより…
『アーミー・オブ・シーブス』というネトフリ制作の映画がある。ネタバレする気もなければ映画のレビューをするつもりもないのだけど、この映画で「そうそう、数字って多けりゃいいってもんじゃないよな」と改めて感じるシーンがある。 …
文章を書くことは、考えることでもある。読み手側からしたらそれが単なる「文字数」としての情報量でも、実はその3文字を打つのに5分かかってるかもしれない。 そんな”考える時間”を可視化できたら、自分が…
「どういう働き方がしたいか」というのを起点に行動してきたのがここ10年弱だとしたら、いまの状況というのは「どういう暮らしがしたいか」が起点になっている。仕事ありきの暮らし方ではなく、暮らしありきの仕事・働き方なんだな、と最近になってやっと気づいた。まぁ、10年くらいかけて。
佐藤優の読書術的な本を買ったり、松岡正剛の千夜千冊シリーズを買ってみたりしている。今までは自分だけの経験で本を選んできたけど、30歳半ばで「知の巨人」と言われているような人たちの知恵を借りたい、と思うようになった。無意識に「人生そろそろ短いから時間を大切にしろ」と考えているのかもしれない。
本って、なんだか汚してはいけないようなイメージがある。お金を払って買ったのだから、そこに何を書き込もうと勝手なのだが、どうも罪悪感がでてしまう。
面白そうなものを「見つける」こと、やってみて面白さを「見出す」こと、この両者はぜんぜんモチベの仕組みが違う。前者は最初が一番楽しいだろうけど、後者はだんだんと楽しくなってくる。そして今までのぼくは、前者ばかりだった。
2012年7月、バックパッカー旅中のこと、インドのリシュケシュという街でパンチャカルマという治療コースを受けたときのことだった。このときから、閉所が恐くなった。いわゆる、閉所恐怖症かもしれない。
このサイトが完成してから2週間ほどが経った。レンタルサーバーを契約してワードプレスで自分のためのサイトを立ち上げるのは、5〜6年ぶり。まだまだはじまったばかりでどうなるかわからないが、今のところは「自分の家だなぁ」という感覚があって心地よい。